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縄文小説家・森裕行のブログです。身近な縄文を楽しみ生き甲斐としています。「生き甲斐の心理学」の講師もしています!

『愛の原型』との対話を楽しもう!(愛の孤独 4/10)

2012-08-27 | 第四章「愛とゆるし」

 昨日、久しぶりにインターネットで「心のともしび」を開け、植村高雄先生の最近のテレビ番組の録画を拝見した。

 http://www.tomoshibi.or.jp/tv/info.html

 そしたら、今の私のテーマそのものを、10. 「愛の原型」をはじめ、2-3の最近の録画で語られていた。時間のある方は是非10~12をご覧になると良いと思う。初めてお聴きするようなことで、とても刺激的であった。

 さて、昨日お話した続きで、私の最近の「愛の原型」ついて述べてみたい。「愛の原型」との対話は、まずは楽しむというスタンスを大切にするところから始まる。そして、時とともに「愛」の思索の変化や、感情の整理とか、そういう変化で、自分の「愛の原型」と思われるものが変わっていく。丁度、今日はどの衣服を着ようか、ネクタイをしようか?などと変化するようなものだ。

 それも、恐怖体験とか、かつては「愛の原型」とは遠くかけ離れていたような経験が、「愛の原型」に変化したりすることも。

 ちょうど夏休みの時期であるが、私の10歳の小学生の夏休みの時。当時は建築の仕事で、しょっちゅう伊豆で仕事をしていた父が、夏休みに東伊豆の今井浜に家族旅行に連れて行ってくれた。

 旅館につくと、父と私は将棋でゲームを楽しく始めた。それは良かったが、そのあとゲームのルールで父と私が激しく口論をし、父に一喝されて、私がメソメソと泣くことに。母も妹もオロオロしていた。楽しい旅行が、何となく恨めしいような旅に。そして、気分を一新するように、家族で海水浴に海岸に出た。丁度、台風が接近してきていて、快晴であるが波が高かった。

 飛び込み台が二つあり、沢山の海水浴の子供や大人が、飛び込み台の周りで楽しんでいた。私も浮き輪をつけ(泳ぎを覚え始めのころだったと思う)、飛び込み台付近を妹と浮いていたが、突然高い波がきて、浮き輪が飛び、私は海中に投げ出された。そして、何と海中の飛び込み台の支柱に挟まれてしまった。

 眼を開けると、海藻のようなものが見えた。不思議な静寂の中を、息を吐き出すこともなく、じっと海中の中に。

 そして、次の瞬間に、私は支柱から引っ張り出され海上に。父が、気が付き、危険な中で救ってくれたのだった。お腹あたりが支柱と接触して擦り傷があったが、それ以外は全くの無事。奇跡的であった。

 そんな怖い思いをしたが、翌朝は台風接近で海はさらにあれ、旅館から見ると海岸の飛び込み台は2台とも波に打ち上げられ倒れていた。父は、それを見ながら憎き飛び込み台め・・・思い知ったか!と呟いていたのを記憶している。

 これは、恐怖体験のようだが、この1-2年何か引っかかっていた。何年か前に実際に今井浜にゆき、父が東伊豆で旅行先に選んだ意味(とても良い場所)に気が付いたこともある。父とのゲームを巡っての喧嘩は、どういう訳か尾を引き、素直に父に感謝するという気持ちがずっと湧かなかった。ただ、愛の思索を深めているうちに、もつれていた感情の整理ができたようだ。

 今では、この記憶は『愛の原型』かなと思う。なんとも言えない父の愛を感じてしまうのだ。

  愛の孤独 4/10

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