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縄文小説家・森裕行のブログです。身近な縄文を楽しみ生き甲斐としています。「生き甲斐の心理学」の講師もしています!

聖と俗の中をゆれる人生!(感情から観たゆるし 5/10)

2012-09-07 | 第四章「愛とゆるし」

 先日は、清澄庭園で得難い研修を受けさせていただいた。紀伊国屋文左衛門の屋敷跡と言い伝えられ、日本各地から美しい石が船で運び込まれ名園を形作っている。何とも心が落ち着く。美しいところ聖なるところで、研修を受けるのは素晴らしい。

 さて、今回は自分にとって深い思い出のある出来事を<思考・感情・行動>という面で再考してみようとしているが、その中での重要なポイントに、聖と俗の問題がある。

 聖と俗の問題は実は、私が幼いころから悩んでいた問題なのである(アラスカに行ったり、日本では珍しいカトリックの環境で育ったり・・)。そして、十二年前に臨床心理学の勉強を始めるにあたり、U先生に師事できたことは極めて幸福だった。

 U先生はエリアーデやロジャースが当時いらしたシカゴ大学で学び、また七つの世界を知悉する英国のオックスフォード大学で比較宗教学を背景にした心理学を学ばれた。私の昔からの問題意識に応えてくれた師と幸運に感謝している。

 そして、信じて見える世界とは何か、その功罪も含め、U先生から教えていただいているのであるが、今回のテーマでも多いに関係が深いのである。

 ところで、荒井由美さんに「小さいころは 神様がいて 不思議に夢をかなえてくれた・・・」で始まる、「やさしさに包まれて」という歌がある。

 私は学生のころから、様々な想いの中で聴いたが、その中に、実はU先生から学んだ心理学のエッセンスが含まれている。

 私は母がカトリック信徒の家に生まれた。そして幼児洗礼を受け、幼いころから中学生ごろまで、日曜日には教会に通った。それが、中学後半から高校生になってくると、宗教への解釈が何となく変わってきて、縁が遠くなっていく。ユーミンの歌のように、大人になって聖なるものから離れてしまう自分を感じてくる。

 聖なるものを信じたり、まあ、そこまで行かないまでも、恋人や何か(会社などもあるかも)を信じたりすると、心理学的にいうと何かが変わる。信じて見える世界が現れてくるのだ。信じて見える世界は一般には幸福曲線の世界といわれる。

 逆に、私の学生時代のように、聖なるものを疑うようになると、見える世界が激変してくる(逆回心といわれるようだ)。

 高校2年の冬に、家の窓から見えた無機質の葉を落とした木々を見て、とんでもない世界に来てしまったと感じた鮮烈な記憶がある。聖から離れた世界は、ストレス曲線と一般には言われているようだ。

 まあ、過去を振り返ると自分は聖と俗の世界を振り子のように揺らいでいたようだ。そして、それが定まってきたのは40歳台後半だった。

 感情から観たゆるし 5/10

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