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縄文小説家・森裕行のブログです。身近な縄文を楽しみ生き甲斐としています。「生き甲斐の心理学」の講師もしています!

青春時代の魂の孤独!(感情から観たゆるし 7/10)

2012-09-09 | 第四章「愛とゆるし」

 ことしの2月。初めてプラハに行った。その時、プラハ城の一角の、カフカが間借りしたという小さな家に寄った(写真のブルーの家)。厳寒の朝で、マイナス20度くらいだった。ドアを開けると本などが小綺麗に展示してあったが、直ぐにドアを閉めずにいると、寒いから閉めろと店員さんから言われたのを覚えている。

 カフカは、30歳台で夭折したチェコの小説家であるが、大学生の3-4年に良く読んだ。以前お話したとおり、私はカトリックの洗礼を受けてはいたが、高校生くらいになると教会から遠ざかる。一方、高校、大学と学生運動が盛んな時でもあり、何のために生きるのか・・・そんな問題を解決しきれず悶々としていた(変な罪の意識を植え付けられるような時代背景もあったようだ)。

 大学4年は、研究室で実験心理学に逃避?をし、朝から晩まで土日もなく卒業論文に明け暮れる。そして、就職は、一転してサラリーマンで、しかも性格的に向かなそうな営業を希望した。

 カフカの小説は、不条理的な絶望的な世界を描いているものが大半である。そして、その気分に浸って、何かを模索していた。どうも、見神欲(デジデリウム、人間には食欲、性欲などもあるが、見神欲もあるという学説がある)の問題と関係していたらしい。

 その後、就職して1年くらいたつと、大阪で営業に配置されコンピュータのセールスをすることになる。ただ、当時は、仕事に関する倫理道徳・哲学が、ウェーバーの「プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神」のようにあって、意外にも修業をしているようで気持ちがよかった。そして、上司も親鸞好きな方で気があい、仕事を通し満たされないものを、昇華できていたようだった。

 さて、40歳台になると父が亡くなり、社会もベルリンの壁が落ちて急速に変わり始め、その中で会社生活も大きく変貌していく。さらに、家庭も年齢相応に変わっていく。そして、自分だけで処理しきれない問題に遭遇しはじめていく。結構40歳台は、人の話を聴いても大変なようだ。

 こうした時、非常に幸運だったのは、「生き甲斐の心理学」でとても大切にされている、自己実現の3つのポイント(①自分は何のために生きているのか?②生き甲斐は何か?③自分を大切にしているか?)を何となく実践していたことがある。勿論、当時は「生き甲斐の心理学」に出会っていなかったが、これが、精神的な病理に行くのを防いでくれたように感じる。

 当時は、東洋思想の関係の本、仏教の本などをよく読んだ。キリスト教関係は殆ど読まなかったが、ある日NHKの宗教の時間で、遠藤周作の友人だった井上神父さんが語っているのを見た。その時、キリスト教には三位一体の聖霊があってと、聖霊についてお話されていたのが印象に残った。キリスト教に、さほど興味が湧かなかったのは、どこか厳しく怒られそうな神から逃げ出したいような心理が働いていたのだろうと思う。

 自分を大切にするは、どうだったのだろう。家の近くをジョギングする楽しみをもっていたりした。

 生き甲斐も、仕事だけでなく、マンションの管理組合の理事の仕事など、燃える仕事も後から考えると懐かしい。

 しかし、自分の処理しきれない問題は残り、思考は空転し、感情も自分では感じられないような状態になってくる。

 カフカの小説ではないが、変な世界ゆるしのない世界に近づく。

 感情から観たゆるし 7/10  

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