イキイキと生きる!

縄文小説家・森裕行のブログです。身近な縄文を楽しみ生き甲斐としています。「生き甲斐の心理学」の講師もしています!

愛そのものの魂と天国の話!(自己愛のことを知ろう 5/10)

2012-09-17 | 第五章「和解と平和」

 3.11後、科学万能で忘れ去られていた死が、意外に近い存在だと国民的に認知されたのか、伝統宗教や哲学が見直されているように感じている。私も、最近「死んだらどうなるか?」と問われることもあり、先日も魂論、霊魂論の本を何冊か読んだ。

 私は、カトリック信徒なので、クレド(使徒信条)や二ケア・コンスタンチノーブル信条を読み返したりもした。先に述べたように私は不信心な人間であったが、たまたま不思議な体験をして信仰をもつようになった。それでも、来世や神、魂のことになると、感覚だけでなく論理的にも思案し信仰を固める努力が必要である。感覚だけでは頼りない。この努力は死ぬまで続ける必要があるのだろう。

 「死んだらどうなるか?」という問いは一見浮世離れしているが、今ここの生き方に直接影響する大問題である。

 死んだら身体が分解し地に戻るのと同様に、精神もなくなる。こうした唯物的な見方は世に溢れているが。もし、この考えを徹底していくと、生きる意味はなんだろうか。快楽とかこの世の物質的な富を追及できる若いころはとにかく。身体が弱り老いてきたら、もう先はなく希望はないのか。個人の血と涙の生育史の価値はどうなるのだろう。

 死んで永遠の眠りについたと思ったら、想像もしなかった別の世界に生まれたり、天国に生まれるということも可能性も否定できない。それも、日常よく経験する因果論的なことで決まるかもしれない。あるいは、一方的な愛で天国に直行したりも否定できない。こうした来世観や魂観の違いで、今ここに生きる意味も随分変わってくる。そして、辿る行動も変わる。

 何を信じるかは、とても大事な選択(大事なわりに理論は簡単には判りにくので、変なはなしだが、実績ある伝統宗教や哲学から入るのが危険はないようだ)。私など、両親等の縁で信仰を深めるということも多いと思うが。

 私の来世観は、天国に生まれかわり幸せになるというものだが、先に旅立った人と再会したり、今の世で謎だったことが判ればと妄想もしている。現世人類の過去累積数は800億人とも言われる。そういう、祖先と密にfacebook以上にやり取りもできるかも(笑)・・・

 もうひとつ、教育とか医療とか福祉など人と関わる仕事では特に大事だ。それは自分だけでなく他人をどう見るかの人間観だ。U先生から教えてもらったが、たとえ最悪の人と出会っても、その人の中に魂が隠れていることを思い出すのだ。魂といっても、穢れた魂とかではなく愛と意志をもつ魂だ。人を身体、こころ(生育史を中心とし生き甲斐の心理学が対応)と魂(宗教や哲学が対応)からなるものと考えるのだ。

 自己愛のことを知ろう 5/10

にほんブログ村 ライフスタイルブログ 生き方へ 人気ブログランキングへ  <・・クリック応援いつも感謝しています!