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縄文小説家・森裕行のブログです。身近な縄文を楽しみ生き甲斐としています。「生き甲斐の心理学」の講師もしています!

感情から個人史を辿って悩みを解決する!(みんなの悩み解決法 3/10)

2012-10-15 | 第六章「螺旋状に上昇する意味」

 自分の悩みを解決していくのは、勉強仲間(同じ生き甲斐の心理学の学徒)の胸を借りて、カウンセリングをしてもらったり、勉強会で一緒に時を過ごすのが良い。しかし、勉強と訓練を深めていくと、自問自答でもある程度解決できるようになってくる。

 身近で、生育史などを一番理解している人は、何と自分自身である。あとは、自分が自分をどのくらい受容しているかがカギで、受容度が高くなれば最高のカウンセラーは自分になるのだろう。

 昨日までに、最近の自分の中に二つの悩みがあることが判った。A:帯状疱疹の痛みに伴う悩み。B:『自分は死んだらどうなるか?』という質問を受けると動揺する悩み。勿論、外にもあるが。

 それでは、まずA:帯状疱疹の痛みに伴う悩み について考えてみたい。

 今日も、朝、帯状疱疹の胸の痛みで目が覚めた。お医者様から頂いた薬(最近は保険薬局からだが)には痛み止めが入っていて、夜の薬が切れるために早朝に痛くなるようだ。

 私の帯状疱疹は、左胸から左脇の下、背中にかけてである。そして、その痛みは表面の疱疹というより、奥からの独特の神経痛だ。痛みにともない、やるせない不安が襲う。子供にかえって「痛いよう・・・」と泣きたくなるが、家人から馬鹿にされるので黙っている(ときどきするが・・・)。

 さて、この痛みは今回が初めてではない。50年以上前の昔で、かなり怪しいが、7歳の時にアラスカで体験したのが初めてだと思っている。かってな解釈かもしれないが、幼いころに罹った水疱瘡ウィルスによる影響が、7歳ころから現れてきているかもしれない。

 アラスカの小学校に通いはじめたころのある日、突然胸がずきずき痛みだし、私は動顛した。「胸に針が突き刺さる・・・」意味不明な言葉を言いつつ苦しがるので、両親は慌て介抱してくれた。しばらくすると、おさまったので、両親はあれこれ考え、寄生虫の影響かもしれない(当時は回虫などが当たり前の時代)と虫下しを飲ましたりもした。でも、その胸の痛みは、その後も何かの拍子に現れることがあり、謎であったが、だんだん慣れてくるようになる。

 エリクソンでいうと、5-7歳は罪悪感が芽生える年ごろである。小学校入学当時は、私は小心者なのに、内弁慶で両親や隣の祖父母やお手伝いさんを悩ませた。嫌いな小学校の先生に歯型が付くほど噛みついて嫌われたことも。そんな問題児であったので、ある日、お手伝いさんが、私に『悪いことをすると 縫い針が心臓に突き刺さる』。と日本的な叱り方をした(そういう叱り方が、日本の文化にあることを10年くらい前に知ったのだが)。そして、単純にその言葉を信じてしまった。針は山の幸彦、海の幸彦の日本神話にも出てくるので、何とも不思議な伝統だ。

 さすがに、大人になってくれば、そのような言説が実際にはあり得ないと意識するが、無意識の世界では、何かの負い目を『縫い針の御仕置き』としてひょっこり出てくるようだ。ほらみろバチがあたった・・・そんな感じが私のどこかにある。

 胸の痛みに関する自分の、無意識からくる理想領域は「悪いことをやらなければ、胸が痛くなることはない」ではないか。こうした理想領域を第2領域と呼んだ(後で引用するので覚えていただければ嬉しい。)。そして、この理想が60過ぎの私を苦しめ、理想と現実のギャップが不安を産む。悪循環のようだ。

 そして、この理想領域は問題Bとも何処かでつながっていて重要なアイデンティティの問題があるようだ。明日は問題Bを考えてみたい(実は、もうだいぶ見えてきているのだが)。

 今日の一句。『無意識の 理想が時に 悪さする 理想はバネにも凶器にも』

 みんなの悩み解決法 3/10

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