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縄文小説家・森裕行のブログです。身近な縄文を楽しみ生き甲斐としています。「生き甲斐の心理学」の講師もしています!

原点に戻るということ!(みんなの悩み解決法 4/10)

2012-10-16 | 第六章「螺旋状に上昇する意味」

 この1-2年持統天皇(AC645-702)を研究している。日本人のこころの原型を勉強することは、欧米の理論がベースの『生き甲斐の心理学』の学徒にとって極めて大切と、師匠のU先生が与えてくれた課題である。

 女帝・持統天皇の魅力はいろいろあるが、その一つは吉野だと思う。壬申の乱の前に、天智天皇が次の天皇を大友皇子にゆずり、天武天皇を排除しようとする。そして天武天皇は仏門に入り吉野に逃げる。持統天皇は天智天皇の実子でもあり、危ない橋を渡らなくても良いのに、夫・天武天皇についていく(沢山の奥さんがいたが、同行したのは持統天皇のみ)。

 そして、その後吉野から桑名に抜け、壬申の乱へ発展とし大友皇子を破り天武政権ができるのだが。持統天皇は、天武天皇が亡きあとも、その思い出の地の吉野に30回以上行幸するのだ。

 持統天皇は鉄の女帝とも言われ、その政治能力は抜群だった(日本にもこうした時代があった)が、なぜ吉野行幸にそんなに固執したのだろうか。

 考えられるのは、天武天皇と吉野に何人かの身内で向かうのだが、この時は、地位も名誉も全て削ぎ落としての決死の行動だった。

 その時の経験が、恐らく持統天皇のアイデンティティー・原点になり、天武天皇亡きあとの難しい政局を乗り切っていけたのではないか。そんな風に想うのである。

 持統天皇の時代。勿論思想的には仏教も道教も日本伝統の思想もあった。朝鮮半島や大陸との関係でも、今以上に難しい外交の時代でもあった。その中で、何を原点にするか、どうアイデンティティを統合するか極めて重要。持統天皇には借り物ではなく等身大の原点があったのだと思う。

 『死んだらどうなるのか?』。そんな問いに持統天皇は、恐らく全くブレずに答えることができただろう。日本で初めて火葬された天皇としても有名だが、何か迫力を感じる。

 今年の夏は吉野の宮滝まで行きたかったが、余りの暑さのために涙を飲んだ。飛鳥から吉野。必ず行きたい。

 『絵に描いた 理論ではなく 原点は 削ぎ落とされた 実感から来る』

 みんなの悩み解決法 4/10

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