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縄文小説家・森裕行のブログです。身近な縄文を楽しみ生き甲斐としています。「生き甲斐の心理学」の講師もしています!

悩み解決を妨げる自分のくせを知る!(みんなの悩み解決法 5/10)

2012-10-17 | 第六章「螺旋状に上昇する意味」

 持統天皇の原点、吉野について昨日は考えたが、「死んだらどうなるのか?」の問いかけから湧く不安にこたえられるような体験。最近は科学信仰?の陰で、余り表面に出てこないが、意外に多くの方が体験したりしている。

 このブログでも、小林秀雄氏の『感想』の中にある、プラットフォームから落ちた時の体験。東山魁夷氏の自伝の中の体験を取り上げたことがある。個人的な神秘的な体験は、本人にとっては掛買いの無い宝物である。それ故、それをどう扱うかが思想的にも難しいのだが。

 そして、私にも不思議な体験がある。「罪深い自分が、今ここで愛されているという実感。そして、ささやかかもしれないが、お返ししたいという想い」。その考えが降って湧いたように起こった体験が想いもかけない時にあったのだ。カトリックへの回帰とこころの自由を得た時であった。

 それにも拘わらず、『死んだらどうなるのか?』という問いに、変に理知的に対応しようとしたのだ。あれこれと、辛気臭い本を読んだ(明るい本もあったが)。そしてそれ故、何かストレス曲線のスパイラルに落ち込んだようだ。

 この変な理知的な傾向は、私の幼いころからの内弁慶的性格からかもしれない(家庭環境が大きいが)。高校2年の時の、今まで信じていたカトリックの信仰を疑った時もそうであった。その道のプロの教会の神父様に訊けば直ぐ分ったかもしれないのに、変に頑固に一人でデカルトの神の存在証明を読んだりして足掻き、最後はニーチェでノックアウト(どこまで理解していたかこれも疑問)。今考えると、遠い道のりであった。

 自分の不安を知性化という防衛機制で封じるよりは、リアルな不安を実感しつつ行動したほうがきっと速かったかもしれない。しかし、それが青春時代なのだろう。

 実は昨日、U先生主催の『生き甲斐の心理学』の勉強会に参加した。14の防衛機制がテーマだったが、私の事例もそうだが、参加者の個性的な防衛機制のお話に感動した。そして、実は自分が解決に一番近いはずなのに、それを妨げる防衛機制の不思議さを想ったのだ。防衛機制はこころを守り生き抜くために必要なのだが、何かを見えなくするのだ。

 『悩んだら 自分の癖に 気を付ける 鎧(よろい)兜(かぶと)が 悩み深める』

 みんなの悩み解決法 5/10

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