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傾聴の基本の基本は!(みんなの悩み解消法 10/10)

2012-10-22 | 第六章「螺旋状に上昇する意味」

 今回の『みんなの悩み解消法』も最後になってしまった。悩みを解消する流れはだいたいご理解いただいたとも思うが、実際に成功するためには、本人の傾聴力が左右すると思う。他人が対象でも自問自答でも基本は傾聴力だと思う。

 傾聴というと、カール・ロジャースの6条件とか、3条件(受容、共感、純粋と一致)などが浮かんだり、積極的傾聴法というテクニックを思い出す人も多いだろう。あるいは、エンカウンターの講座などで傾聴訓練(無防備、受容、共感、間、理解、熱意)を思い出す人も・・・

 ただ、この傾聴も、基本的には臨床心理学の約100年の歴史の中で発展してきた若い思想に過ぎない。この傾聴の技術の奥にはさらに深層の思想や人間観がある。

 傾聴の基本の基本。それは何だろうか?ふと思い出したのは、シスターAさんから、教えてもらった有島武郎の『一房の葡萄』であった。有島武郎は、大蔵官僚の息子で、幼いころ父が横浜の税関長に就任したこともあり、横浜英和学校で学ぶ。その学校では異国の子供と一緒に異国の先生から学ぶのだが、その時の経験から『一房の葡萄』が生まれる。

 繊細な色の絵具で絵を描きたいあまり、同級生のジムの絵具を盗む。それが見つかって、外国人の担任の女教師の部屋に友達に連行される。そして女教師と二人きりになり、時を過ごす。その中で、女教師の思いやりというか、暖かい眼差しのもとに本人は反省し癒され、翌日にはジムとの和解も成立する。一房の葡萄は女教師の脇役として何回か登場するが、葡萄はご存じのとおりキリストを象徴しており、何か深く考えさせられる短編だ。

 先生にとっては、異国の現地人で、盗みをした人間。子供とはいえ、先生にとっては扱いにくい問題だったと思う(たとえば、普通こうした状況では、先生が子供に好きという感情が湧くはずはない)。それなのに、傾聴の条件が成立し、本人が癒されていく。

 おそらく、この時期は女教師が傾聴の知識を持っているはずはない。ロジャースの傾聴は1950年代に発展していくからである。しかし、考えると2000年にわたるキリスト教文化の人間観が大きいのではないか。好悪の感情を越え、相手の基本的人権というか、愛すべき何かを想定して接する。思い出すのはヨハネ福音書にある、ヤコブの井戸のサマリアの女に接するイエスのアプローチである。

 同じような経験は、実は私の7歳の時にも実はあったのだ。英語も全くできなかった私が父に連れられてアラスカの小学校に入るのだが。やはり、日本人の私がクラスに受け入れてくれるのは大変だったと思う。しかし、一房の葡萄でなかったが、私を受容し共感し、明るく受け入れてくれる。これは、驚きであったことを、今思い出す。

 傾聴の基本の基本は、相手に対する好き嫌いといった感情を越えた理性的な愛だと思う。そこを押さえると、一房の葡萄のあたたかさの謎が分ってくる。そして傾聴の理解も進む。

 キリスト教文化だけが愛を語るわけではないが、傾聴に取り組む時、単なるテクニックではなく、人間観の深層を哲学する必要があると思う。

 『傾聴の 基本の基本は 人間観 日々訓練し 磨いて行こう』

 みんなの悩み解消法 10/10

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