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『大阪アースダイバー』って新鮮!(マンネリズムに陥らない 9/10)

2012-10-31 | 第六章「螺旋状に上昇する意味」

 

 私の中では、「大阪」という言葉は、特別な響きを持っている。就職してから、5年ほど大阪に住んだことがあり、社会人としての基礎教育?は大阪でなされた感がある。しかし、それがどういう意味があったかは、生育史を大切にするという観点から考えると、未踏の領域のようだ。

 東京と比べると、今はグローバル化で似てきているが、当時は随分違っていた。東京に帰ると、ほぼ一か月東京の日本そばを食べ続けたものだ。味付けが関西は独特であったこともある。

 大阪時代とそれに続く1-2年、法人相手の営業であったが、営業活動も随分違っていた。大阪は値引き交渉が生活の一部だったが、東京は、余りにあっさりして無いようであった。人も東京はとてもスマート。

 関西では、高速道路で一歩間違えると、車を割り込ましてくれる人は皆無であったが、何か困っていることがあると、あっという間に助けてくれる人情があった。一番思い出すのは、寝屋川市の雑駁な街の中で、車をぬかるみの中に落としてしまった時だ。

 困り果てていると、わっと助っ人が5-6人現れ、あっという間に車を引き揚げてくれた。そして落着すると、それこそ蜘蛛の子を散らすように帰ってしまい、お礼をする間もなかった。

 そのバイタリティーは着実に自分の中にも流入してきたようだが、それは何だったのだろうか。

 関西に住みつつ、東京人にはなかなか行けない京都や奈良にも訪れたが、今考えると大阪人的なフィルターを通して京都や奈良を訪問していたようだ。今は東京に居て、奈良について、殆ど妄想的にあれやこれや考えてるが、当時は随分違ったのだ。

 思い出すと、日本橋に行ったり、天満宮にいったり、葛城の金剛山に登ったり、飛鳥に行ったり、神戸や奈良や京都にいったりもしているが、それらは大阪的なフィルターを通しているので、今とは随分感じ方が違うようだ。

 ただ、一番強烈な印象は、冬に葛城の金剛山を登ったことだ。雪の降る山道を駆け上がる人の熱気に接し、驚いた。今でも金剛山登山は地元では有名のようだ。

 さて、昨日、なかなか手に入らなかった、中沢新一氏の『大阪アースダイバー』(講談社)を入手した。現在味読中なのだが、自分の中の大阪が、この本を読むことで突然活気づいてきた。

 大阪の南北を貫く、アポロン軸だけではなく、東西を貫くデュオニュソス軸が活性化されてきたのだろうか。冬の金剛山登山の熱気が黄泉がえり。聖徳太子の意味や持統天皇の捉え方が変わる気配だ。

 自分の不思議な大阪暮らしを新たな視点で捉えなおすためにも。貴重な、マンネリズムを吹き飛ばす本だ。

 マンネリズムに陥らない 9/10

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