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縄文小説家・森裕行のブログです。身近な縄文を楽しみ生き甲斐としています。「生き甲斐の心理学」の講師もしています!

こころの汚れを落とす、日本人の知恵!(自分の中の神話 6/10)

2012-11-17 | 第七章「光と復活体」

 高校生の時の現代国語の教科書に載っていた、「汚れちまった悲しみに・・・」(中原中也)は、当時の時代感覚もあり、こころに残り、今でも時たま思い出す。

 しかし、この現代的な汚れの感覚は、どうも起源はそうとう古そうだ。日本神話などにも穢れは大きなテーマとして登場している。そして、穢れと禊の思想は日本の独自の文化とも言われる。

 さて、こころが穢れたら、物理的に洗うのとおなじように綺麗になる方法はあるのだろうか?

 処方箋は、臨床心理学でも手はあるが、伝統宗教の世界の知恵は長い歴史もあり深い。さらに、日本では古来から禊(ミソギ)と祓い(ハライ)がある。日本神話は古代からの言い伝えを、7-8世紀の統治者(天武・持統、藤原氏など)が当時の政治的な目的を背景に編纂したもののようだ。そして、その内容は古代からの物語か、統治者の投影かは不明ではあるが、どちらにしろ優れた内容で、こころの穢れに対する日本的な考えを見ることができる。

 さらに、神話公式(昨日に詳しい)で読み解いていると、とかく分別思考、論理的思考で狭くなりがちな視野を広げられ、感動する。

 今日も、天の岩屋戸の神話を読んでいた。これも、昨日ご説明した公式どうりである。

 弟スサノウの狼藉により、穢れを忌嫌ったアマテラス大御神が天の岩屋にお隠れになる。そこで、かがやく生命力を表すタカミムスビの神の子オモイカネが中心となり、アマテラス大御神を岩屋から引き出す。その結果、アマテラス大御神は、かがやく生命力そのもののように、この世に君臨し、アマテラスが天の岩屋に入れないように残した、しめ縄だけが天の岩屋の前に残る。

 実は、私も日本的に言えば穢れの経験で、不思議な体験をしたことがある。詳しくは、ブログ左上の検索で「愛の感情(1)」と「愛の感情(2)」を参考にしてください。罪悪感とか穢れを感じていた私が、私を拒否する(ように見えた)カトリックのミサの中で、不思議な流れで最終的にホスチアを頂き、受け入れられていく。これも、まさに公式どうり。そして、今でもミサのご聖体は私にとって特別だ。

 今、私は7世紀の大政治家、持統天皇で頭がいっぱいである。彼女は、百人一首の「春過ぎて、・・・」の和歌で有名だが、日本の原型を作った大政治家だ。そして、不安定な政治状況の中で少なくとも大津皇子を謀殺し政権を奪取した。そうした、穢れをどう落とし、健全な人生を歩んだか。持統天皇も編纂に関係しただろう日本神話に、そのヒントがあるかもしれない。

  自分の中の神話 6/10

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