イキイキと生きる!

縄文小説家・森裕行のブログです。身近な縄文を楽しみ生き甲斐としています。「生き甲斐の心理学」の講師もしています!

好きな人のまねを、いつのまにかしてる!(こころの仕組みを活かす 6/10)

2012-11-27 | 第七章「光と復活体」

 私の祖父は、現存する某デパートの本店を設計した明治の建築家であった。子供が10人いて、孫もたくさんいたが、戦後のどさくさの後、末っ子の私の母が、祖父母の隣に住むことになり、孫の私は例外的にかわいがられた。

 高校は祖父の母校に運よく入学できた。祖父も喜んでくれた。そして、翌年の冬に、祖父は亡くなるが、その前に二人きりの時、祖父は何故か出生の秘密を話してくれた。それは、親戚で誰も知らないことであった。若いのでよく判らなかったが、最近意図することが少し判る。

 私は、祖父が好きであった。おまけに、わたしの父も建築屋であったので、大学受験は建築学科を希望した。高校紛争の混乱の時期、自分も混乱していたが、向き不向きに関わらず建築という目的をもっていたのは混乱の中を生き抜く上で大事だった。

 最終的には、建築学科にも行かず、建築とは無縁な人生を歩むようになったが、この置き換えという防衛機制はプラスに働いたと思う。ただ、いくら祖父が好きだからといえ、祖父の選んだ職業が私の自己実現になるかには飛躍がある。

 私の大学時代は理工系であったが、実験心理学を学んだり、心理学に興味を持ったりし、軌道修正が行われた貴重な時であった。それが、今の「生き甲斐の心理学」普及の活動に続く。

 置き換え:坊主憎けりゃ袈裟まで憎いの心理、あるいは、理科教師に好意をもつ生徒が理科が好きになる心理。(「生き甲斐の心理学」93ページより)

 さて、今朝やっと「飛鳥の風 持統天皇」(吉田知子氏)を読了した。日本書紀にも「(持統)天皇は沈着冷静な方で、広い度量をおもちであった。」と表現されているが、極めて複雑な状況を生き抜いた持統天皇を的確に表していると感じる。

 壬申の乱で命をかけて戦った相手(大友皇子)の息子と手を組んだり、蘇我氏とは違う藤原氏と手を組んだりする柔軟さはもの凄い!それ故に、難しい時代に自己実現に向かえたのだろう。いつのまにか置き換えをし、そして危険を察知できず滅びるという愚とは無縁な女帝だ。

 こころの仕組みを活かす 6/10

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