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縄文小説家・森裕行のブログです。身近な縄文を楽しみ生き甲斐としています。「生き甲斐の心理学」の講師もしています!

好奇心が人生をたのしくさせる!(生き甲斐 3/10)

2013-03-10 | 第十章「今ここでの恩寵」

 先日の伊勢~飛鳥~吉野~西の京の旅は、私の好奇心(心理学用語でいうと、私の基本的な傾向と渇望だろうか)から生まれ実現できたようだ。そして、今回の旅にはいくつかの私の傾向と渇望?が隠れていると思うが、日本の原型を知りたいという深い興味がある。その中から、月と日本人にとって何だろう?とか、シルクロードの終点の日本の宗教はかつてゾロアスター教などの影響をどう受けたのかどうかという興味があった(松本清張さんの本に影響され)。

 なんで、こんな風な興味を持つようになったのかは、生育史から見ると、どうも7歳のときにアラスカの影響が大きい気がする。アラスカの公園で1人トーテムポールを眺めていたときの不思議な気分。私はカトリックで幼児洗礼を受け母と教会にいっていたが、生育史を辿れば、こうした異文化の経験や、神社仏閣等の影響がいっぱいだ。大事な祖先や親しい人がお世話になる神仏。それを如何に自分のアイデンティティの中に統合していくかはカトリック信徒であっても大切なのだ。

 それはそうと、今日は旅行を思い立った時に気にかかった月について考えてみたい。そもそも古事記や日本書紀にはアマテラス。太陽(日)神の話は沢山あるが、月の神は殆ど登場しない。何でだろうかと不思議に思い、伊勢神宮に参拝した時に、月読命(月夜見命)の別宮にも行ってみたかった。実際に外宮の月夜見宮(以前に内宮の月読宮は行ったことがある)も参拝したがにひっそりと祭られていた。参拝する人も少なくい。

 そんな中、いくつかお寺ををまわり、月光菩薩の存在に気がついた。そして秋篠寺に行くと、薬師如来の両脇には、日光菩薩と月光菩薩。ちょうど方角は東側に日光菩薩、西側に月光菩薩が配置されている。そんなことに気がついた。秋篠寺だけではなく、日光菩薩とともに月光菩薩が東西に配置されているお寺は多いようだ。有名な薬師寺もそうなっている。

 因みに、写真の月は伊勢に泊ったときの早朝の月である。現在(3/10)は新月に近くなったが、3/4ごろは早朝の月で、与謝野蕪村の句 「菜の花や月は東に日は西に」 柿本人麻呂の 「東の 野にかぎろひの立つ見えて かへり見すれば 月かたぶきぬ」のように、日が東、月は西の配置である。

 やはり、日本人にとって月の存在は大きいのだ。

 蛇足だが、私は月にとても好感を覚えているが、生育史を考えると月光仮面の存在も大きいようだ。ちなみに調べてみると月光仮面は月光菩薩を下敷きにして作られたとのこと。日本の月文化を背負っている。

 生き甲斐 3/10

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