「隣る人」では、児童養護施設で施設らしくない担当責任制の中で、実母以上の愛の仕事をされている保母さんに感動し、元施設長の方の熱い関わりを学んだりした。内容については、ご覧になる方の楽しみを奪うことになるので(笑)余り語れないが、数日たっても、いろいろ考えさせられている。
この映画は、背景に親子関係の崩壊とか、虐待の問題があるようだ。そして、この映画では子どもだけでなく、児童養護施設に送り込む側の親の悲惨についても、暖かく描いている。
何で、こんな風になってしまうのか。子どもを心の底から憎い親など私はいないと思う。強いて言えば、愛があっても愛の教育や関わりが、たまたまできなかったというべきか。
さて、最近、ロジャースの性格形成理論を読んでいたら、ロジャースの教育論のような記載に気づいた。ロジャースは、平和構築やカウンセリングでは世界的に有名であるが、若い頃ロチェスター児童虐待防止協会で12年間の臨床経験を持っている。
その経験から世界的な人格形成理論やカウンセリング理論が生まれるのだが、あたたかい愛の教育と言ったら良いのか、教育理論?も述べている。そして、それがこの「隣る人」でも立派に通じているのだ。
私には幸運なことに幼い孫がいるが、孫と親、祖父母の関係を日常的に見ているといろいろなことが起こり、それが子どもの成長に深く関わっていることが見えてくる。
例えば、XXを飲みたいと孫がせがむ。これに対して虫歯を気にする親は飲ませたくない。せがむ・泣く、拒否・・・誰も、こうした子どもの教育に係わる辛い経験があるのではと思う。
こうした時ロジャースは、できれば次のようにすべきだと言っている。
①XXは美味しいという孫の気持ちを理解する。②せがむ孫(騒いで、にくらしかったりするが)を受け入れる(立場を理解する)。③それに対し子どもの意に逆らってまで、子どもの身体を想い飲ませないとする自分自身(親や祖父母)の気持ちを受け入れる。
この流れの基本は自己肯定・他者肯定。
もちろん肯定しつつも行動や思考においては孫と大人は大きく異なる。しかし人格(魂)は否定しない。この辺がポイントなのであろう。通常は、なかなかそのように行かず、子どもの人格を否定したり、怒る自分を否定したりで他者否定・自己肯定とか他者否定・自己否定などになってしまいがち。
愛は訓練と言われるが、愛の教育の道も大変な訓練の道で、映画になるほどなのだろう。
支援すること 4/10