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縄文小説家・森裕行のブログです。身近な縄文を楽しみ生き甲斐としています。「生き甲斐の心理学」の講師もしています!

怖さを克服する知恵!(旅と真善美③ 5/10)

2013-09-23 | 第六章「螺旋状に上昇する意味」

 昨晩は、久しぶりで孫娘や二人の子供も含めて、楽しく家族で夕食を共にした。

 10年前、会社を辞める前には考えてもみなかった幸福感だった。

 勇気を出して家族のこと自分のことも考え、会社を辞めたことがよかったかどうかは、辞めた人生を選択した今となっては判らないが、現実の家族の姿を見ているとひしひしと幸福感を味わえた。

 感情生活を振り返ると、10年前会社を辞めるときに襲った恐怖感。それは怖いという感情が主役だったようだ。自分で選び取る人生の怖さでもある。

 怖いという感情は、好きか嫌いかの感情と同じく原初感情だとされている。そして、怖いという感情を抑えて、別の人生を歩み始めたのが10年前。

 さて、怖いという感情を今日は深く考えてみよう。

 幼いころはお化けが怖かった。今と違い、夏には怪談などがもてはやされたように思う。今と違い、幼いころは夜寝るときも、照明の乏しい夜道も怖かった。怖さは、今よりもっと馴染みの感情だったようにも思える(3.11後の東京の暗さで思い出したこともあったが)。

 この怖いという感情、人が成長してくると延長線上には恥辱・疑惑や罪悪感、劣等感など複雑な感情がどんどん現れるようだ。そして、怖いという感情への根本的な処方箋は、逃げたり隠れたりするのではなく、意志力がものをいうのではないか。日本神話を振り返っても、イザナギの黄泉の国への冒険の話をはじめ、様々な物語があるが、怖いという感情があるなか、主人公は真善美を暗に求めて奮闘する。

 私は、小学生(7歳)のころアラスカに行ったことがあるが、ある日国立公園に行った時。全く異文化の鳥や獣が彫刻されたトーテムポールの前に両親から離れて一人見入ったことがある。そのとき、怖いという感情を振り切り、未知のトーテムポールを眺めたのだろう。そして、怖さが何か親しみやすさに変わっていくのを感じたようだ。

 エリクソンの理論を考えても、恥辱・疑惑とセットに発達するのが自律性や意志力。罪悪感は自発性や目的志向性である。さらに劣等感は勤勉性や技能とセットになる。怖さという暗い感情を克服するためのノウハウ(自律性、自発性、目的志向性・・・)を言っているようにも読み取れる。

 しかし、エリクソンから何千年も前に神話というかたちで同じようなことをすでに語っている祖先たちの知恵。神話を読んで心の健康を取り戻したという話をどこかで聴いたことがあるが、本当かもしれない。

 さらに、今では、あまりポピュラーではなくなってしまったが、私の父の時代などでは肝試しがポピュラーだった。肝試しを始め、それを乗り越える様々な知恵。これも、バカにはできないもののようだ。

 旅と真善美③ 5/10

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