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縄文小説家・森裕行のブログです。身近な縄文を楽しみ生き甲斐としています。「生き甲斐の心理学」の講師もしています!

府中にも凄い古墳が!(時の旅① 4/10)

2013-10-02 | 第七章「光と復活体」

 最近古墳ブームとか言われている。意外に知られていないが、古墳は東京近辺にも多いようである。昨日は、夕方に府中の遠足の下見をかねて武蔵府中熊野神社古墳に行った。飛鳥時代の豪族の古墳で上円下方墳としては国内最大規模。実際に復元された古墳をみるとなんとも感動する。

 私は、以前勤めた会社のオフィスが府中にあったこともあり、府中には親しみを感じている。関東一円に近い広大な武蔵の国の国府があったところであり、寺社仏閣も含め古の時代には、ちょっとした都会であったようだ。近くだったので良く行った大國魂神社は西暦111年の創建。景行天皇の時代と言われ、大国主命が祀られていて、春のくらやみ祭を始めて見たときはひたすら感動したものだ。

 その大國魂神社の横には武蔵国国府の遺跡が発見され見学ができるように整備されている。また、昔イトウヨーカドウのあった府中本町の周辺にも国司等の御殿跡が発見され整備されてきている。そして、この甲州街道沿いの本宿交差点に近い熊野神社の境内にあった見つかった古墳は7世紀のもので、当時としては先端の技術で作られ、高松塚古墳で見つかった刀の鞘尻金具に似たものまで見つかっている。規模は当時の天皇や皇太子クラスには及ばないものの一般の皇子クラス以上とのことで圧倒される。

 国府の北方面には、国分寺や国分尼寺がある。丁度府中駅から府中街道で国分寺方面に向かう途中に国分寺跡がある。聖武天皇の治世に設立され四神(玄武、白虎、朱雀、青龍)相応の場所でかつ、交通の便のよいところという条件の良い一等地に造営されたようだ。北は屏風のような国分寺崖線。南は広々とした低地で多摩川に至る。西は東山道が南北を貫いていたようです。

 何気なく見過ごされがちの身近な遺跡。それが、何となく気になり、知識を得ていくなかで自分との関連も見えてきて、さらに今回のように遠足となれば、人ごとではなくなる。そして、単に知識として理解するのではなく、実際に現地で呼吸し体感してい中で、理解が深まっていくようである。古墳ガールの方々の気持ちもわからないわけではないかな。

時の旅① 4/10

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