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縄文小説家・森裕行のブログです。身近な縄文を楽しみ生き甲斐としています。「生き甲斐の心理学」の講師もしています!

幸福の条件・・・幻想!(時の旅① 6/10)

2013-10-05 | 第七章「光と復活体」

 DVDで映画「渋谷」を観た。メメントモリなどで有名な写真家・藤原新也氏が監督の作品でなかなか良い映画であった。思春期の少女とその母の葛藤がベースの映画であるが、母の子供への期待というか幸福の条件(良い学校に、良いお婿さんを・・・)追及の果の悲劇。そして、爽やかなラストシーン再生を画いた映画なのだろう。なかなか考えさせられた。母が探していたもの、主人公が探したもの、監督が探したもの(それは、見えていない世界を暗示させるが)・・・そんなものが見えてくる作品であった。

 渋谷は、学生時代に親しんだ場所であるが、丁度駅前はすり鉢の底のような感じで、大きな坂が始まる場所でもある。縄文時代の海浸期には海が侵食し坂の上のみが陸地だったのだろうが、湿地と坂、墓地や花街、商売や住居そんな雑多な過去を背負った聖なる場所とも言える。中沢新一氏のアースダイバーにも出てくる典型的な東京の街である。

 私も、経験したが、現代の悲劇(いつの時代も変わらないかもしれないが)は、幸福の条件の世界が異常に膨張することではないだろうか。良い学校で良い成績、良い伴侶を見つけて、・・・・様々な自分の頭で画いた条件に眼が行き、実際は泥からできた人間の雑多さに眼が行かない。それゆえに真に大切なものから離れてしまう悲劇だ。幸福の条件ばかりを追う人生はちょっと問題だ。そして、これは個人の問題でもあるが、社会の問題でもあるのだろう。

 生き甲斐の心理学を勉強していくと、幸福の条件(学歴とか職歴とか、そういう客観的な条件をクリアすれば幸福になれるとする)もあるが、幸福感の世界もあることを識る。幸福感の世界は、幸福の条件とは独立した世界で、今ここで感じる感情の世界であり、頭で考えるのではなく生命体として時に幸福感を味わうことがあるという事実だ、ちょっと頼りないが(自分だけでは実現できない)、確実にある世界でもある。

 映画「渋谷」を見つつ、新約聖書にあるサマリアの女の話を思い出した。幸福感は意外なときに出会うものでもある。

 時の旅① 6/10

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