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縄文小説家・森裕行のブログです。身近な縄文を楽しみ生き甲斐としています。「生き甲斐の心理学」の講師もしています!

愛の原型のバトンタッチ!(時の旅② 4/10)

2013-10-13 | 第七章「光と復活体」

 大切な人なのに、何かうまくいかない。こういう時にエゴ・ダイナミック・ノートが役立つことを先日述べたが、もう一つ愛の原型の話も大事だと思う。自分の愛の名場面は自分でしか判らないものである(意識しないと自分でも意識化できないが)。これは、他者の場合でも同じで、いくら親しい関係といっても、その方の愛の原型は訊かない限り判らないものである。

 私も生き甲斐の心理学を勉強してから、自分の子供に訊いたことがある。すると、へー。あの場面がそうだったか、と驚いた。親子でも、そんなものなのだろう。

 ただ、そんな大切な他者の愛の原型を知ることは、自分と違う他者を深く知る上で、あるいは和解のために大事だ。それが、双方向であれば、さらに実り深いかもしれない。ただ、そんなことを訊くのは何となく、気恥ずかしいのも事実である・・・

 さて、自分の愛の原型の理解を深める意味もあるが、父母や祖父母との愛の原型の経験を思索するのは、とても大事なように最近感じている。そして、思索を深めるためにちょっとした旅行とか調査とか行動面に出たほうが、具合が良いようだ。

 私の母方の祖父の例を、述べてみたい。私が16歳の時、隣の家に住んでいた祖父が、体力の衰えを感じ、寿命を感じたのだろうか。ある日、可愛がってくれていた私に二人きりになって話をしてくれた。口を噤む明治の人であった祖父であるが、恐らく、精一杯愛情をこめて伝えたいことがあったのだろう。それは、祖父の祖父のことで、自分の出生に関わる話であった。江戸時代に遡る話であるが、祖父の血の話であった。

 今想えば、それは祖父が自分の血を受容する話だったのだろう。私も祖父の年に近づき、16歳のときには全くわからなかったことが少しは見えはじめたようだ。そして、昨年、私は台湾に旅行に行って祖父の実兄の墓参りをすることができた。祖父は、私に一切、実兄の話をしてくれたことはなかったが、芝山巌事件を祖父はどう考えていたのだろうか?

 今、ふと思ったが墓参りとか、先祖のことを調べることは、先祖からのバトンタッチされた愛の原型に触れる・・・そんなものかもしれない。

 時の旅② 4/10

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