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縄文小説家・森裕行のブログです。身近な縄文を楽しみ生き甲斐としています。「生き甲斐の心理学」の講師もしています!

わたしの中の県民性を意識してみよう!(時の旅③ 4/10)

2013-10-23 | 第七章「光と復活体」

 最近、「都道府県ベスト&ワースト」というデータを教えていただき県民性について本を再読したりしている。日本の歴史に精通した武光誠著「県民性の日本地図」という良い本があり、頭が整理される。

 他人のことは良く判らないので、自分のことを書かせていただくが、私の祖父母4名は、父方祖父 広島県(瀬戸内沿岸) 父方祖母 広島県 (瀬戸内沿岸) 母方祖父 東京(葛飾生まれ) 母方祖母 京都であった。

 そして、私と両親は母方の祖父母の隣の東京に住み(サザエさん風に)、今振り返ってみると、いい意味でも悪い意味でも東京、京都、広島の県民性が適当にバランスして育ったようだ。さらに、私は7歳の時に両親と米国・アラスカに一年暮らしたこともあり、アラスカ民性も入っているかも。

 こんな私であるが、先の武光誠著「県民性の日本地図」の33Pの、次の一節が心に残った。

 「現在のこる遺跡からみて、縄文人が人間は平等だとする考えと、自然と調和した生きかたを重んじていたことが明らかにされている。これに対し、弥生人は上下の秩序を重んじ、貧富の差を当然のものとみていた。」

 日本でも東日本と西日本の文化の差は良く語られるが、私も縄文文化の濃い県民性と弥生文化の濃い県民性があるように感じている。そして、私にとって4人の祖父母のうち、東京生まれの祖父(縄文系が強いと主観的に思うが)の影響がとても大きいように感じてならない。

 祖父は仏教徒(日蓮宗)であったが、記憶にある限りお盆の時は、玄関のところで迎え火送り火(お盆の由来は縄文くらいに遡るのでは?)を炊いて祖先の魂を送り迎えした。「来年は私も煙に乗ってくるよ!」と祖父は冗談っぽく言っていたが、そのうち本当にそうなってしまった。蛇足だが、母はカトリックの信徒に若い頃なったそうだが(私も信徒)、今思うと祖父の縄文からの霊性と関係するのではと推察している。

 祖父はそんな感じであったが、私を愛してくれた両親や祖父母たちの県民性やそれからくる人間観の微妙な差で、私が青年期に入ると混乱した時期があった。結局は自分は自分で選び取る自分の県民性(アイデンティティ)なのだが、人間は他人と自分を大なり小なり混同しがちなところがある。両親や祖父母など身近な人に良い意味でも悪い意味でも影響される。自分が直接苦労して得た価値でないものを、あたかも自分の根付いた価値のように思ってしまう。そして、県民性を知らず知らず継承してしまう。

 根付いてしまったからには、自分もそうだが他人もなかなか変えられない。身近な大切な人との衝突で、何か絶望的になったとき、ふと、これは単なる県民性と思ってみることも意外に大事かもしれない。

 しかし、幼いころの祖父母との暮らしを考えていると、京都生まれの祖母は扇風機を愛用していたし(今は京都がエアコン普及率1)、東京生まれの祖父は酒屋のおじさんと気楽に庭先でのんびりお酒を飲んでいたり(食事時間1)、広島生まれの父はソースはとにかく、味付けは濃いほうだったし・・・幼い頃、祖母と喧嘩したころもあったが、祖母の細かい気配りに反発したことも。悪かったな・・・

 時の旅③ 4/10

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