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自分の生育史を愛する旅! (旅の意味③ 10/10)

2013-11-29 | 第八章「魂と聖霊」

 昨日で伊勢の旅は楽しく終了した。二泊三日の旅であったが、伊勢神宮参拝の他に伊勢音頭などにでてくる朝熊、多度大社、さらに伊勢一宮の椿大神社も訪れることができたので嬉しかった。

 また、空いた時間には鳥羽や桑名の天武天皇社まで行けたのは幸運であった。今回の旅は今年の夏までは、予期もしていなかった旅で、多くの縁に結ばれた感謝の旅だったと言える。

 そして、今回の旅は考えて見れば、3月の伊勢・奈良旅行、6月の飛鳥・吉野・奈良旅行、7月の難波見物を補完しあう、持統天皇を偲ぶ旅とも言える。

 持統天皇は天武天皇の皇后であったが、伊勢神宮の遷宮を始めた方であるだけでなく、藤原不比等と一緒に日本の原型を作った政治家といえると思う。白村江の戦いから壬申の乱を生き抜き、万葉集や記紀の成立にも恐らく深く関与し、大宝律令など律令制度成立にもっとも貢献した人物の一人と言ってよいだろう。

 そして持統天皇47歳の時に伊勢に二週間の行幸をされるのであるが、どうも壬申の乱のときに夫の天武天皇と共にお世話になった人々や、貢献してくれた方々にあったり、お礼を言ったりするプライベートの部分もあったように想像してしまう。

 身体とこころ(生育史)と魂(宗教の領域)からなる人間にとって、自分を大切にするとは心の部分、自分の生育史を大事にすることも大きい。

 昨日の旅の最後には桑名市内の小さな天武天皇社に寄ってみた。殆ど人影もない神社なのであるが、明治天皇が、歴史上初めて正式に伊勢神宮に行幸した(天皇として初めて)際に、伊勢神宮創建に深く関与した天武天皇・持統天皇を想い、この壬申の乱ゆかりの社を大事にするように命じらたようである。

 天武天皇社の祭神は天武天皇・持統天皇・高市皇子となっており、壬申の乱と深く結びついている。そして調べると、この地は壬申の乱での大海人皇子の中央司令部のような場所で、持統天皇が約2ヶ月半この地で戦況を見守っていたようだ(天武天皇は不破ノ関へ)。鈴鹿関、不破ノ関の軍事拠点に馬で3時間で行ける要所であり、海上、河川の交通の要でもある。壬申の乱を勝利するための本当の意味での中心だったのだろう。

 そして、ふと思ったが、東は木曽川、南は伊勢湾に通じる。北の方には多度山という雄略天皇に由の地がある。西は当時としては主要な街道が走っていたのではないか。つまり玄武、青龍、朱雀、白虎の四神に守られている地のようなのである。

 多度大社は、天照大御神の御子神、天津彦根命とその子供である天目一筒命。神社の境内には白馬がいて、私も人参をあげたりしたが、鉄とも由のある神様であったりし、戦と関係の深い神社でもあるようだ。

  

 持統天皇は女帝で、大乱の時代を生き抜き、最後には平和な律令国家を成立させるのに貢献したが、何となく、白馬にまたがり颯爽と天武天皇社から多度神社に祈りに向かわれるような妄想を巡らしたりしてしまった。

  

旅の意味③  10/10

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