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縄文小説家・森裕行のブログです。身近な縄文を楽しみ生き甲斐としています。「生き甲斐の心理学」の講師もしています!

大木に出会う楽しみ!(愛を思索する旅 ①2/10)

2013-12-01 | 第九章「愛」

 11月、もう先月になったが、様々な神社仏閣に行き、その中でたくさんの大木に出会った。

 好きな大木を自分のイメージとダブらせることを進めてくれたのは、恩師U先生であるが、これはとても素晴らしいことだと思う。常に一本の木をイメージするのもよいが、その日ごとにイメージがちょっとづつ変わるのもあるかもしれない。

 青春時代に、吉原幸子氏の詩の一節「ああこんな夜立っているのね、木」に出会って、木のイメージに何か救いを感じたことがあったが、大木のイメージは大事だと実感している。

 さて、昨日の続きというか持統天皇の話を、少し進めてみたい。持統天皇は類のないほど傑出した女帝だと思っているが、光と影ではないが、影の部分がある。

 持統天皇を主題にした小説はいろいろあるが、光の部分より影の部分に焦点をあてている小説も少なくない。

 甥の大津皇子の謀殺、ひょっとしたら自分の子供の草壁皇子も謀殺したとか、高市皇子、十市皇女もとか・・・いろいろである。

 こうした暗い部分を抑制したり、昇華したりして持統天皇は自己実現の道を生き抜いたのだと思うが、私自身も持統天皇を通して自分の生育史上の何か母なるものを投影しているようだ。

 U先生の最近のブログには、ユングのグレートマザーの(お話11月21日)があって、興味をもったが、日々の生活の中で、無意識に持統天皇の影の部分というか、そんなものを感じることもあるようだ。

 女性の愛は素晴らしいが、影の部分としての支配という面もあるのである。

 幼い頃、幼い故に祖母や母からたしなめられたり・・・もう、還暦を過ぎた私ではあるが健在な母と過ごしたりする時に、突然ワープして幼い子になったりする時も無いではない。

 そんな時に、自分が草原の草のように靡くのではなく、大木のように耐える。このイメージは大事だと思う。

愛を思索する旅① 2/10

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