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縄文小説家・森裕行のブログです。身近な縄文を楽しみ生き甲斐としています。「生き甲斐の心理学」の講師もしています!

津軽三味線から縄文の音と祈りを想像する日!(愛を思索する旅 ① 10/10)

2013-12-09 | 第九章「愛」

 昨日は偶然FBで知り合いになった、澤田勝信さんの津軽三味線コンサートに初めて行った。合奏あり、独奏あり、様々な津軽三味線の魅力を味わせていただいた。三味線は日本に入って来たのは、意外に最近のようであるが、何か私達の古い祖先の感覚を表現しているようで、私は心から感動した。
 
 日本の北の津軽三味線は有名であるが、南の琉球の音階を実演していただいた時に、ふと先日行った東京タワーでのワークショップで駆け足でご説明した、日本人の遺伝子的分類(Y遺伝子)で南北が比較的高い数値をしめし、かつ日本全土で大きな比重(4割くらいか)をしめる縄文時代に流入してきた祖先D2のことを思った。

 そんな、縄文時代の祖先はどんな宗教を信じ、そしてどんなアイデンティティーで芸術に親しんだか。そんな興味にこの数年駆られているのだが、その一端を津軽三味線の中で実感させていただいたのだ。

 縄文は上下の運動、弥生は水平の運動を基調とする何かがあるという説があるようだ。大地を叩くような和太鼓のひびき。そして、今回新たに納得したのだが、三味線も弦楽器のようであるが、撥を使う打楽器の要素が極めて強いのだ。それは上下の運動を連想する。

 縄文時代、幼くして亡くなった子供は住居の入り口付近に埋葬されたという。人の出入りの激しい響くところに大切な我が子を埋葬する文化(祖先の墓も居住地の中にあった)。叩くことは、祈りの原型だったのではと妄想してしまう。

 日本は統一国家となる6-7世紀、様々な文化を統合して成り立って行ったと考えているのだが、叩くことはどういう意味があったのだろうか。伊勢神宮で先日、参拝したときに、二礼二拍手一礼をしたが、その意味は久しく謎であったが伊勢神宮参拝の準備で雑誌を見ていたら、その関係の記事あったのだ。

 神道学者 三橋健氏の記事「拝礼と拍手にみる日本の心」(歴史読本 伊勢神宮と出雲大社の謎 2013年6月)なのである。興味深く読んでいたら、お辞儀は縦(上下)の礼法で東洋でポピュラー。一方拍手は横(左右)の礼法の一典型であるとのこと。左右の礼法は握手や抱擁など西洋でポピュラーだそうだ。そして二礼二拍手一礼は縦と横が同時に実現される礼法とのこと。
 
 さらに、手を打つということは、日本独特のものであったらしい(魏志倭人伝や日本書紀を引用して説明されている)。
 
 今回の澤田勝信さんのコンサートのなかでの強烈な叩くようなリズム感。私は、縄文の音というか祈りを感じてしまったようだが、どうだったのだろうか。

 尚、澤田勝信さんは、後でネットで検索したら、その道で有名な方。そんなことも知らずFBの友達にさせていただき、ちょっと恥ずかしかったり不思議なご縁を感じてしまっりであった。

愛を思索する旅 ① 10/10

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