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縄文小説家・森裕行のブログです。身近な縄文を楽しみ生き甲斐としています。「生き甲斐の心理学」の講師もしています!

好きな人も嫌いな人も大切なのだ!(愛を思索する旅 ② 9/10)

2013-12-18 | 第九章「愛」

 生き甲斐の心理学を学んで10年以上の月日が流れたが、その効用の一つに自分の生育史の解釈を肯定的に変えていくことがあった。オセロ・ゲームではないが今まで黒が多かった生育史を解釈を変えることで白くしていく。人生の最後ですべて白になるか判らないが、恐らく白のを増やすことで不要なストレス曲線が減り、幸福曲線が増えるのは間違いない。

 そのポイントは、当たり前かもしれないが、嫌いな人の意味づけである。好きな人も自分にとって沢山意味があるが、実は嫌いな人も、それ以上に凄い意味がある。それは視点を変えることで得られる。

 もちろん、嫌いな人とのやり取りは、その場は嫌である。特に少年少女のころは、怒られたりすると錯乱したり取り乱したりすることも。しかし、年を経るに従い、嫌な経験から学び、いつの間にか成長しているようだ。そして、こころを健康に保つ方法(防衛機制のしなやかな使い方、現実吟味力の健全性、アイデンティティの統合)も身につけていけるようだ。

 小学校一年のときは嫌いな先生に歯型がつくほど噛み付いて嫌われたが、嫌われることで現実吟味力や正しい防衛機制を身に付け始めたようだ。中学校二年くらいになれば、取り乱しはするものの、それなりに主張できるようになり、社会人になれば・・・まあ、人間的な成長(自戒をしつつ)は嫌いな人の存在がなかったらあり得ないのだろう。

 しかし、最近の世の中は一歩外に出ても、良い人が多すぎるようである。例えば、公共の場で敢えて嫌なひとになって、少年少女(もちろんそれ以外の人もいるが)に注意する人は激減している。社会全体としては問題なのだと思う。もっと意地悪じいさんやばあさん(ホントは心優しい)になろうではないか。 

愛を思索する旅 ② 9/10

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