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縄文小説家・森裕行のブログです。身近な縄文を楽しみ生き甲斐としています。「生き甲斐の心理学」の講師もしています!

あなたは自分をゆるせますか?(時間と空間の旅 ① 6/10)

2014-02-03 | 第一章「意識と知覚」

 持統天皇の生育史を追っていくと、凄まじい古代の世界が垣間見られる。父(天智天皇)が母方の祖父(蘇我石川麻呂)を謀殺し、母がそのため病で夭折する。そのとき生まれた弟(健皇子)も障害を負い若くして亡くなる。このような悲劇が4-5歳から続くので、エリクソンではないが、大きな心の傷を受けたのだと推察できる。

 当然ながら、父をゆるせたのか。あるいは、そういう父の子としての自分をゆるすことができたかは、誰が考えても難しいと思うだろう。現に、壬申の乱のときは、すでに亡き父とはいえ天智天皇側(大友皇子)にくみせず、夫の天武天皇にまっさきにつく。

 しかし、政権運営をする立場にたつと、素晴らしい現実吟味力を発揮し、驚異的な政治を行う。そんなことを考えると、恐らく持統天皇は自分をゆるし、受容性を発揮してきた女性ではないかと想像してしまうのだ。それは、何ゆえだったのだろうか?私は持統天皇は始めて火葬された天皇としても有名であるが、その少し前に日本で始めて火葬された法相宗の道昭が存在する。私は道昭とは言わないまでも、宗教者から当時一流の心理療法を受けたのではと想像してしまうがいかがなものだろう。持統天皇のこころの問題は今となっては良く判らない。

 さて、私ごとになるが、14年前に「生き甲斐の心理学」をU先生から学び、カウンセリング・心理療法も学んできた。また、一時ではあるが介護や福祉の世界で働いたこともあった。

 その中で、今ではかなりポピュラーな言葉、「受容」を毎日のように聞いてきた。「受容」という言葉は、かなり難解である。「受容」は「許容」ではなく、「受容」はありのままに認めるだけだ・・・。と説明されると、半分くらい判るが、どうも落ち着かない。それは、恐らく「自己覚知」の問題が含まれていて、自分の意識の世界を超えた何かを理解・体験しないと判りにくいのだろう。

 「受容」は、宗教や哲学の世界に繋がる。臨床心理学などは欧米のキリスト教文化の中から生まれてきた(ほんの100年位前)。

 私は、思うのだが十字架のキリストにより人々はゆるされた。神がゆるしたのである。しかし、そんな私達にもかかわらず、どうも自分をゆるすことは意外に難しいようだ。私は、幼児洗礼を受けたが、中年になると、さまざまな自分の理想と厳しい現実の中で苦悩した。そんな時に、母にさそわれて長らく行っていなかった四ツ谷の教会に行った。そのとき、実に不思議ないきさつがあったこともあるが、全ての過去や未来(理想)を捨て去り、今ここの身軽な自分を見出したのだ。それが自分を始めてゆるした時だったかなと思う。

 もちろん、このゆるしは許しとも違う、赦しとも緩しとも違う。ひょっとすると受容というものに近いかもしれない。そして、この受容は変化する力となる。変化は受容の最大の特徴かもしれない。

 「あなたは自分をゆるしていますか?受容していますか?」。この問いは恐らく死ぬまで繰り返す回答のない、常に新しい問いだと思う。

時間と空間の旅 ① 6/10      

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