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縄文小説家・森裕行のブログです。身近な縄文を楽しみ生き甲斐としています。「生き甲斐の心理学」の講師もしています!

楽しい物語性のある人生計画!(時間と空間の旅 ⑥ 8/10)

2014-03-31 | 第二章「五感と体感」

 今日は3月31日。年度末の日である。一年があっというまに過ぎてしまったが、その反省もあり、朝から人生計画を作っている。

 10年前に会社を辞めたときは、自分の人生計画も何か会社の事業計画のようなところがあり、とてもストイックな感じのものであったが、今日の私の計画は随分変わってきているようだ。

 自分の人生計画は、①何のために生きているか? ②生き甲斐は何か? ③自分の身体、心、魂を大事にしているか?というアイデンティティの問題への自分なりの回答ともいえる。

 ただ、哲学的なアイデンティティの問題が背景にあるにせよ、計画は具体的だ。何をいつまでどうする・・・といった風のリストになってしまった。

 今までの反省で、抽象的に考えても意味がないので具体的にしている。整理整頓を抽象的に考えてみ意味がない。机の整理整頓も机の引出の中を全部出して、どれを破棄し、どれをどうしまうかを具体的に決めたほうが良いのだ。

 さて、昨晩から今朝、紫式部にも多大な影響を与えた10世紀の蜻蛉日記を読んでいた。一夫多妻制の中、太政大臣まで上り詰めた藤原兼家の妻、道綱母(名前が不明なので、こう一般に言われている)の日記である。

 その中には玉の輿の経緯から、子供の出産、主人が他の妻に通うことでの嫉妬。日常を離れて、唐崎や石山寺などへの旅。一人息子の成長と夫との確執・実質的な離婚をかなりリアルに描いている。

 日記(歌を含む)は当時としては画期的なものだったようだ。それにより暗い感情は昇華され心の平安を得たのかもしれないが、やはり日記の基調は暗い。まあ、人生というものはゲーテが言っているように不安感に塗りこめられ、ほんのちょっとの平安感等の明るい感情からなるようで、そんなものかもしれないが、「生き甲斐の心理学」を道綱母が少しでも知っていたら、随分違う人生になっていたのではと思ったりした。

 少なくとも苦悩(嫉妬)は理想と現実のギャップであると理解し、自分の非現実的な理想や現実を解釈しなおしたらどうだったろうか。まあ、自分のことになるとそうはいかないものだが。

 ただ、嫉妬に狂う道綱母と兼家のやり取りは、ふと感じたのだがギリシャ神話のヘラとゼウスの物語のようなところがある。兼家は厳しい追及にうまく立ち回ったり、都合が悪くなると寝ているふりをしたりする。日本版のギリシャ神話の要素があるかも。そして、これを読む女性にとっては、心の平安を得るための物語であったのかもしれない。それ故に1000年もの間伝わってきているのだろうか。

人生計画を作る上でも、変な悲壮感ではなく、楽しい物語性が伴ってくるようだと、素晴らしい計画になるような気がする。今回の私の計画は、自分で作りながら楽しくなり、すっきりした。

時間と空間の旅⑥ 8/10

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