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縄文小説家・森裕行のブログです。身近な縄文を楽しみ生き甲斐としています。「生き甲斐の心理学」の講師もしています!

くらやみ祭りで大太鼓を叩こう!(心の健康度 ③ 3/10)

2014-05-05 | 第四章「愛とゆるし」

 府中の大国魂神社でくらやみ祭りが行われている。昨年は行けずじまいであったが、今年は府中の友達から誘われて、3日の競馬式、4日の太鼓や山車行列に参加できた。本来は5日の神輿渡御(8台の大神輿、6張りの大太鼓が登場)が最大の山場なのだが、今年は仕事の関係もあるので行けないのは残念。

 しかし今回はいつもと違い、単なる観光客ではなく友人の紹介もあり、八幡町(今は緑町)の太鼓を叩く機会や山車を引く機会もあり、くらやみ祭りを地元で楽しむ雰囲気を堪能させていただいた。幼いころは、都心でも町内ごとに神輿を担いだり楽しんだが、久しぶりでそんな楽しみ方の良さを実感させていただいた。

 二宮の太鼓は皮面直径が1m85cm、太鼓の重低音は何とも迫力がある。昼休みの時に、実際に叩いてご覧といわれたものの、初めてでどう叩いたものか迷ったが、叩くと何ともいわれぬ快感!叩かなければ始まらないのが太鼓なんだと悟った。町内のおばさんたちも叩いていたが、皆幸せそう。大太鼓を町内で楽しむことで、地域の結束・平和が高まるのは間違いないようだ。

 さて、重低音の太鼓を感じながら、日本人のアイデンティティのことを思いめぐらした。日本はだいたい4万年くらい前から現世人類が漂着して暮らし始めたのが定説になりつつある。当時は日本と大陸が続いていた可能性も高いが、現世人類の共通の祖先は遡る事20万年くらい前にアフリカ大陸で生まれ、5-6万年前にアフリカから世界に広まったとされている。アフリカからユーラシア大陸にどのように行ったのかは、陸続きの北側、中東方面という説もあるが、紅海の入り口にある、バベルマンデブ海峡を船で渡ったのではという説もかなり有力だ。当然、船をつかった移動はかなり昔からあり、その伝統を日本でも受けついでいた可能性が高いように感じている。

 先に、村上水軍の小説の話を何回かしたが、私も村上水軍の本拠地に近いところに実家があることを考えると、海民の血が何処かに流れているように思う。和太鼓は縄文時代からあったという説もあり、太鼓の音を聴くことで自分の中のDNAが湧き踊るようだ。

 人は、複雑なようで意外に単純で、自分のことを考えても単純な渇望と傾向の中で生きるのが本来のようだ。自己実現とか生き甲斐とか難しそうなことをいっても、単純な人それぞれの渇望と傾向を如何に育てるかに過ぎないのだろう。

 日常の中で発生する不一致も、良く考えれば、自分の中の基本となる音を忘れなければ、一致への道は確実にあると思う。「自分は何のために生きているか?」この大切な問いかけは、自分の渇望と傾向を問う質問でもあるようだ。

 

心の健康度 ③ 3/10

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