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縄文小説家・森裕行のブログです。身近な縄文を楽しみ生き甲斐としています。「生き甲斐の心理学」の講師もしています!

自由な心を大切にしよう!(心の健康度 ③ 6/10)

2014-05-08 | 第四章「愛とゆるし」

 今、自分のこころは自由かどうか?こんなことは普通、意識しないことだと思う。しかし、生き甲斐の心理学を学び、防衛機制をしっかり学んでいくと、その大切さが分ってくる。

 こころを安定するしくみ防衛機制。もっと簡単に言うと、物事の個人的な感じ方・受け取り方といったらよいのか・・・

 仮にAという突然の事象(災難。出会い・・・)が起こったとする。これに対し、ある人は驚き錯乱し、ある人は逃げ出し、ある人は急に理屈っぽくなり、ある人は祈り、ある人は人を非難し、ある人はおどけ、ある人は徒党を組み・・・様々な反応になるが、これは各個人が今までの生育史で蓄積してきた心の安定技術(防衛機制)の学習の結果なのだろう。ちょっとおかしく感じるものの、生育史の重みを考えると決して笑えない。

 心を安定する仕組みなので、この中で、Aという事象そのものを短時間で自分のとっての糧(かて)とする人はたぶん少ない。私も、糧とできない一人であることは間違いないだろう(できれば幸いだが)。

 そして、当然ながら防衛機制が働くと、Aを正面でとらえきれず、せいぜい歪曲して理解するにすぎない。そして防衛機制に反比例し、心の自由は何処かに行ってしまう。

 心の自由。ほんわかと愛に包まれているとき。自分の中に柱がきっちりと定まっているとき。なんとも抽象的で恐縮だが、そんな時に、こころの自由が到来し、例えばAという事象が糧となって身についていく。

 役割ということを、この世では大切にされているし、生き甲斐の心理学でも役割をエンカウンター等で学ぶ。Aという事象に対し、どういう役割を考え行動するかは大切なところであるが、浅い使命感で活動し、実際地に足が付かず、あの人はなんだったのかね・・・と当事者の謎になったりする(自戒を持って思う)。そんな時は、心の自由がなかったんだと後から振り返ったり。

 さて、こころの自由はどうして得られるのだろうか。人それぞれの流儀があると思う。五感を楽しませることもあるが、祈りも馬鹿にできない。私はロザリオの祈りを大切にしている。・・・風呂やトイレ?も、プライベートの究極の世界なので意外に効果がある。まあ、人それぞれだろうが、こころの自由を得るためにどうしたら良いか、各自考える意味は大きいと思う。

心の健康度 ③ 6/10

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