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縄文小説家・森裕行のブログです。身近な縄文を楽しみ生き甲斐としています。「生き甲斐の心理学」の講師もしています!

ストレス曲線に住む人と幸福曲線に住む人!(心の健康度 ④ 2/10)

2014-05-14 | 第四章「愛とゆるし」

 村上海賊の娘(和田竜)を読んで発見したのは、安芸門徒の歴史と登場人物(留吉、源爺)の何とも言えない平安感というか幸福曲線であった。私の父方の故郷は、ちょうど留吉や源爺の生まれの近くの瀬戸内海沿岸なので他人事ではなかったが、今でも浄土真宗の文化は引き継がれ、私もその多大な影響を受けていると思う(仏壇を大切にするとか、生活に根付いた信仰の世界)。

 こうした幸福曲線の中で生きる人がいる一方、ストレス曲線の中に生き、自分のストレス曲線の感情に気づかない人もいる。

 私が社会人になってからしばらくしてのころ、父とお酒を酌み交わした時、「お前は暗い!何とかならないのか。」と言われたことがあった。確かに、父は自分と違い明るいかなと、その時思ったが、生まれつきの問題くらいにしか思えなかった。しかし、これが自分がストレス曲線の中の住人であることを知った初めての経験だった。

 その後、時がたち私は浄土真宗ではないものの、急速にカトリックの世界に入り込んだ。信仰の世界は、信じる教義は違っても心理学的には似ているところがあり、例えば仏教徒の宮沢賢治の心の動きが、キリスト教信者でも良く判るところがある。信じて見える世界は何か似ているのだ。

 そして、生き甲斐の心理学に出会い臨床心理学系の勉強をするようになったが、幸福曲線に住む意味を理解できるようになってきた。そんなある日、広島のある親戚と親しく話した時に、実に幸福曲線に住んでいて良いなとしみじみ感じたことがあった。

 東京では、仕事の中でいろいろな人とも接するが、概してストレス曲線の中で住んでいる人が多数派のように思えてしまう。ストレス曲線の中でも、ちょっとした優越感や達成感は味わえるが、なかなか自他肯定的な平和な行動にはつながらない。

 勿論、この世は厳しく、あのゲーテですら幸福感を70年以上の全生涯の中に集めてもせいぜい一ヶ月とのことだ。人生のほとんどがストレス曲線だということには変わりがないだろうが、どちらに軸足を置くかで感情生活はずいぶん変わり、自分の心の奥底をとらえる力は違ってくると思う。

 父はすでに他界しているが、このブログを読んだら何と思うのだろうか?

心の健康度 ④ 2/10

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