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縄文小説家・森裕行のブログです。身近な縄文を楽しみ生き甲斐としています。「生き甲斐の心理学」の講師もしています!

個性の美を大切に雑草のように生きる!(心の健康度 ④ 6/10)

2014-05-18 | 第四章「愛とゆるし」

 もう、夏のような5月の昼下がりを昨日は大栗川沿いに歩いた。3月には大雪が降り、4月には桜が舞い、5月は・・・。めまぐるしく変わる道であるが、まあ雑草が沢山育ち、花開いていた。ヒメジョオンは余り好かれないで貧乏草などと呼ばれるが、眼線を低くして写真を撮ると、別の花のように清楚で実に味がある花に見えたり。

 その外、ヒルザキツキミソウをはじめ、なかなか味のある春の花だ。

    

 さて、今日は個性の美について考えている。5月の大栗川沿いの雑草の花も良く見ると、個性的でなかなか良いものであるが、家の庭の手入れなどでは、目の敵のように抜かれたりする。人間の個性も、その美に着目する人は少なく、バンバン鋳型にはめられたりするケースが多いようだ。そして、成長する中で、その個性は自分でさえ、大切にしなくなっていく。さらに、時には個性の美を異常と判断され、個性を抑圧することも。

 生き甲斐の心理学では、個性や個性の美が良く話題になる。それは良いのだが、突然、「個性の美」とは何ですか?とストレートに訊かれて考え込んだこともある。思考方法、行動方法、などに着目して個性を論じる人も多いが、私は生き甲斐の心理学の観点で、自分の感情の傾向に着目して考える。感情と言っても漠然としてしまうので、原初感情の好きか嫌いか、怖いか怖くないかに着目してみると個性の意味が実感できると思う。人の個性を論じるよりも、まずは自分の個性を考えてみるのが良いのではないだろうか。

 春の野でもいいが、例えば美術館で絵画を見る。私は、生き甲斐の心理学の勉強を始めてからは、説明書きやガイドなどは鑑賞の時は目に触れないようにして、好きか嫌いか、怖いか怖くないか、何か気になるか・・・などの感情を大事にすることを優先する。それは、世間の評価と一致することもあるが、そうでないこともある。また、他者の評価も聴いてみても面白い。そんな中で、自分の生育史からくる個性を垣間見ることができるようだ。

 蛇足だが、長年、自分の個性を大事にしない日々が続くと、評論家や美術館が一押しの絵が、実は自分では嫌いであるのに、好きだと勘違いするようなことも人間(自分)には起こるようだ。しかし、そんなことに気付き、自分の個性(感情)を大事にして意を決して自然体で生きるように心がけると、世の中が違ってくるものだ。何となく遠ざかる人もでてくるが、近づいてくる人もでてくる。長い眼でみると、そのほうが楽に生きられるようでもある。

心の健康度 ④ 6/10

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