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縄文小説家・森裕行のブログです。身近な縄文を楽しみ生き甲斐としています。「生き甲斐の心理学」の講師もしています!

いっしょに作業をする楽しさ!(心の健康度 ⑥ 10/10)

2014-06-16 | 第五章「和解と平和」

 昨日は家族の誕生日であり、かつ忘れていた父の日であった。夕方は皆で料理をつくり、ちょっとしたパーティ。楽しかった。

 家族との人間関係も、心の防衛機制で考えると、反動形成や感情転移で気まずくなるよりは、いっしょに料理をつくったりして同一化を意識する(普通、忘れてしまうが)ほうが生産的で明日への活力になるような気がする。甘えの構造は健在だ。

 さて、今日も頭の中は宮沢賢治であったり、持統天皇だったりする。そして、一人の人を研究するとは、その人の存在する空間と時間を学ぶことである。ちょうど朝ドラの「アンと花子」は大正時代が背景にあり、当時の時代背景は今と似ているようで興味深々であるが、この時代には宮沢賢治も生きており、そして東京周辺にも出没していた。

 自分の生育史でも正当に理解するのは難しいが(様々なフィルターをかけられる)、例えば宮沢賢治のような様々に研究されている人でもフィルターはかけられるようである。宮沢賢治が石川啄木の影響を受け、かなり短歌を作っていたが、その短歌は殆ど知られていなかったり、詩や童話の習作時代と軽く見られたりする。また、宮沢賢治が東京で会いに行った唯一の詩人が高村光太郎だったことも驚きであった。過日、高村光太郎が宮沢賢治の弟のつてで花巻郊外で戦後の一時期を過ごしたが、不思議な関係もあるものだ。どういう点に惹かれたのだろうか。

 いっしょに作業をするのではないが、不思議な出会いは相互に大きな影響を与える時がある。宮沢賢治の場合だけでなく、持統天皇でもそうだ。持統天皇にとっての不比等、若き日の聖武天皇や長屋王、元正天皇。道昭や役小角。小説家も書いたことがない不思議な関係もあったと思う。

 それと、もう一つ不思議な視点は、その時代に生きていたはずの祖先である。例えば、私の祖父は建築家であったが、祖父の設計した建造物を宮沢賢治は見たのか、見たとしたらどう感じたか・・・。ある時代の空間を妄想することは楽しい。

写真は小岩井牧場で食べたピザ。食べるだけも楽しい!

心の健康度 ⑥ 10/10

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