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縄文小説家・森裕行のブログです。身近な縄文を楽しみ生き甲斐としています。「生き甲斐の心理学」の講師もしています!

親密になりそうだと逃げだす傾向!(心の健康度 ⑦ 10/10)

2014-06-26 | 第五章「和解と平和」

  今日で、脱線等があったものの心の健康度(プロセススケール)を終了する。最後は親密性の問題で、表題のような「親密になりそうだと逃げる傾向!」。この生き甲斐の心理学の勉強を始めたころは、こんな傾向などは自分とは無関係だと思っていたが、心の深層をいろいろ学んでいくと、やはり、あるのかなと思うようになった。そして、自分のこの不思議な傾向と原因に気が付くと、それにまつわる様々な傾向が改善されるようだ。

 私の場合は、幼いころのいくつかの出来事が原因になっていると思うが、その一つは祖母の死であったと思う。祖母は、大日本帝国憲法が発布された明治22年の生まれで、当時も明治恐慌であったが、大正から昭和の激動期、敗戦後の日本などを経験した世代である。10人の子供を育てた後で、隣に住むようになった私を、誕生から8歳ごろまで愛しみ病に倒れ亡くなった。

 祖母は結構厳しくポリシーがしっかりしていたためもあり、私も反発して困らせたりしたが、突然入院し、それからしばらくして亡くなった。まだ、8歳だったが、その死と前後の出来事は不思議に記憶している。一緒に暮らしていた幸せ感が、消え祖父や母が悲しんだ記憶。

 人と人の関係性は、自分が決めたわけではないが、厳然とあるものだ。親と子、上司と部下・・・そして祖母と孫も。そして、無意識の世界で親子の関係が上司・部下の関係に混濁するのはやや不健康であるが、どの関係性を考えても、親密性に制限はないのだと思う。しかし、無意識の中にある、かつての出来事、幸せを感じだしたころに突然奪われるような出来事があると、無意識に親密性から逃げてしまう傾向が生じる。自分が傷つくのをどこかで恐れるのだ。しかし、親密性とはそんなものなのだろうか。親密性を哲学するまでもなく、どこかおかしいと思う。

 さて、最近は、どういう訳か炒った大豆マメをつまみにビールを楽しむ癖ができてしまった。健康によさそうなので始めたのだが、ふと祖母の記憶がだぶっていたように思った。私の祖母は、腕白だった私を、時折読んでちり紙に甘納豆を数粒包んでくれた。その昔の記憶がだぶっているのかもしれない。とは言え、飲み過ぎには注意せねば!

心の健康度 ⑦ 10/10

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