イキイキと生きる!

縄文小説家・森裕行のブログです。身近な縄文を楽しみ生き甲斐としています。「生き甲斐の心理学」の講師もしています!

毎日、地に足をつけて歩くこと!(ストレス曲線をバネに ② 2/10)

2014-07-19 | 第六章「螺旋状に上昇する意味」

 半年ぐらい前から、歩くことを意識するようになった。すると太極拳のA先生から、急に褒められたりした。足腰が鍛えられると身体の軸が決まるところがあるようだ。さらに、精神的にも何か違う。歩くときに不謹慎かもしれないが、ロザリオの祈りをとなえる効果もあるのかもしれない。

 さて、歩くことをつらつら考えると、私は幼稚園から小学校、中学校、高校、予備校と歩いて通学した。片道1~3Kmくらいなので、結構な距離ではあるが、歩くことで、地に足をつける時間を持つことで健康を保ったように思う。時には友達と寄り道して帰ったり、思いがけず某先生と話をしつつ学校に登校したこともあった。旅は道連れではないが、歩くことで予想外のコミュニケーションが得られる。

 今となっては、畏れ多い某坂を上り下りしたり、御濠の美しい景色を眺め、五感と体感を癒すことで、自分のこころを整えてきたのだろう(U先生の生き甲斐の心理学の学びでも重要なポイント)。

 今日は「花子とアン」は白蓮事件の衝撃の部分に迫った。U先生もブログでおっしゃっていたが、人は時代の影響を非常にうける。白蓮事件も白蓮さんも当然関わっているのだが、大正10年という時代そのものの噴出のようなところがある。ドラマでは恐らく殆ど触れないとおもうが皇室の問題や政治の問題も背後にあり、原敬暗殺事件も不思議にマスコミでは白蓮事件に影に消えてしまったところもある。大きな時代のうねりで人の人生、周りの人の人生も変わってしまう。

 本人に全て責任を押し付けるというより、時代に責任の大半があることも多いように思う。私の大叔父さんの台湾での芝山巖事件も、きっとそうだったと思う。

 最後に、今日の「花子とアン」の伊藤伝右衛門の孤独感を想った。伊藤伝右衛門の愛の原形。それから、白蓮の愛の原形。恐らく文化も生育史も違う二人にはお互いの愛の原形を理解する余裕がなかったのだろう。そして、辛い孤立感を乗り越えられなかったのだろう。十字架の贖罪のキリスト教を信じる私にとって、愛の多様性の問題は実に生涯の課題でもある。自分は自分と割り切りつつ、割り切れない愛についていろいろ考えてしまう。今日も歩きながら祈ると何か悟るだろうか?

 写真は先日、鎌倉近辺を散策した時のワンショット。30分くらいの散策は楽しかった。

ストレス曲線をバネに② 2/10

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