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縄文小説家・森裕行のブログです。身近な縄文を楽しみ生き甲斐としています。「生き甲斐の心理学」の講師もしています!

不安感のしくみを理解すると心が健康になる!(ストレス曲線をバネに ③ 6/10)

2014-08-01 | 第六章「螺旋状に上昇する意味」

 今日の「花子とアン」は震災後の辛い話であったが、深い悲しみについて考えさせられた。今回のかよさんの悲しみは何だろう。感情はだれでも感じるものではあるが、その感情を真面目に思索する人は少ない。しかし、居ないわけでもない。フランスの哲学者、シモンヌ・ヴェーユは高校生への哲学を教えたようだが、その時の生徒がシモンヌ・ヴェーユの講義録を整理し、「ヴェーユの哲学講義」(ちくま学芸文庫)を書いたが、その中に次のようなスピノザの言葉が引用されていた。「よろこびはより大きな完璧への移行の感情であり、悲しみはより小さな完璧への移行の感情である」。なかなか味のある言い回しで、スピノザがかなり的確に感情を理解していたことが想像できる。

 世界的な脳科学者のアントニオ・R・ダマシオも「感じる脳」(ダイヤモンド社)という名著を書いているが、スピノザの哲学は今でもとても興味深いものであるようだ。さて、なかなか味のある悲しみの思索であるが、U先生の「生き甲斐の心理学」では、病理論の一つとして、不安感(暗い感情といってもよい)は理想と現実のギャップとさらに判りやすく表現している。

 私は「生き甲斐の心理学」を学んだなかで、一番どきっとした知恵は、この理想と現実のギャップが不安感という公式だった。まあ、十五年くらい勉強しているのだが、この言葉の深い意味を学んできたといっても良いかもしれない。

 先のスピノザの悲しみはより小さな完璧への移行の感情ということも、たとえばかよさんの悲しみを考えると、今まで当たり前に存在していた恋人が、居なくなってしまうということで、理想と現実に大きなギャップが生まれたと考えれば納得できる。恋人と結婚するという理想と結婚どころか亡くなったという現実は決定的はギャップなのだ。

 こんな風に自分に感情が生じたとき、その感情を産んだ自分の理想と自分の現実をあれやこれやと思索することを訓練していくと、自分の心の健康が格段によくなるし、時には他者の心の支援も上手になるようだ。

 理想の解釈、現実の解釈を変えて行く。その方法は、様ざまな手法があるのだろうが、例えばフォーカシングなどでは最悪のシナリオ、最善のシナリオを考えたりすることで、腑に落ちるポイントを見出していく、この二つのシナリオをのんびりと考えることにより、自らの理想と現実を揺さぶるというか、もみほぐすようで、苦悩からの脱失がふと観えてくるようだ。

 さて、先日の大栗川周辺の遠足の時、大栗川はところどころ川底に段差があり、小さな滝が出来ているのだが、その滝のところに珍しく数羽の鴨が集まり、必死にえさを探していた。滝の寸前をのこのこ歩く鴨、そして、滝壺に果敢に近づく鴨。まあ、猛暑なので、ちょっとした水遊びなのかもしれないが。

 

   

 

 理想と現実の葛藤で彷徨うような大栗川を、鴨さんたちがカウンセリングで果敢にお世話しているようだった(笑)。ギャップにどう対応するかは本人しかわからないが、鴨さんのような愛すべき支援も大事。今日のかよさんのように、恐らく「不安感、怒り、身体症状、ウツ、錯乱」の階段で身体症状以上に行ってしまった時、家族やかわいい子供の愛情が救ってくれるのだろう。

ストレス曲線をバネに③ 5/10

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