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縄文小説家・森裕行のブログです。身近な縄文を楽しみ生き甲斐としています。「生き甲斐の心理学」の講師もしています!

自分なりのケガレとミソギを思索してみる!(ストレス曲線をバネに ③ 7/10)

2014-08-03 | 第六章「螺旋状に上昇する意味」

 U先生の最近のブログを読んでいたら、穢れと禊の話がとても心に残った。穢れは原初感情の好きか嫌いか、そして怖いか怖くないかから人それぞれつくられるものだそうだ。

 私は、この数か月、身近な都心や多摩の神社仏閣・教会、遺跡を随分訪れたが、そこには、本当に様々な穢れと禊の思想があるようだった。遊女も信仰したらしいお寺の地蔵さん、村の観音さん、山の教会、海の観える寺、縄文遺跡・・・

 例えば、写真の縄文の竪穴式住居。縄文中期には集落が形成されたそうだが、墓地が集落の中心広場に形成されていたり、死産の子供などは家の入口通路の下に埋葬されたという。壊された土偶などは祭儀に使われたそうだが、そこにはきっと禊(ミソギ)の思想があったにちがいない。日本書紀の神話にも禊の神話が結構あるが、恐らく源流には縄文時代の祖父母の歴史が刻まれているのだろう。実に興味深い。

 埋蔵文化財センターでは、縄文時代の遺跡から発掘された土鈴の音を聴かせてくれる展示があった。八王子の楢崎遺跡などの実際の鈴だ。音はなかったがNo.72遺跡のかわいい鈴も展示されていた。土鈴なので、なんとも言えない味のある音。これも、当時の人にとって穢れと禊とどんな関連があったのだろうか?

 自分のケガレが、どういう時に生じ、それが、どんな思想や行動で禊、解放されるかは極めて大事だと思う。じくじくとした自己嫌悪に苛まれず、明るく健康的に生き抜くためにはミソギの思想が大事だ。

 私は、40歳代のときに実感したカトリックの思想。十字架の贖罪と復活の思想は、今ではなくてはならないよりどころ。まあ、ミソギのやり方は人それぞれで、どれが良くてどれが悪いかは言えないが、ケガレとミソギをこころのどこかでしっかりと意識化していることは大事だと思う。

 今でも道端にある、お地蔵さんや石仏。昔の人々のケガレとミソギを実感することは自分の祈りの世界を広げるようで無視できない。

ストレス曲線をバネに③ 7/10

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