イキイキと生きる!

縄文小説家・森裕行のブログです。身近な縄文を楽しみ生き甲斐としています。「生き甲斐の心理学」の講師もしています!

幸福について思索する!(幸福曲線を辿る 2/10 )

2014-08-09 | 第七章「光と復活体」

 先日行った霧ヶ峰周辺散策。縄文時代にさらに興味をもってしまい、あれこれと仔細を調べるとハッすることがあった。家の近くの東京都のNo.72縄文遺跡や今回訪問した尖石遺跡などは縄文中期の遺跡だが、このころはある研究によると、日本の人口が26万人くらいで、縄文時代の最盛期だったそうだ。そして気候変動で寒冷化し厳しくなった後期・晩期の時代には8万人程度まで人口は減ってしまう。数千年をかけた典型的な右肩下がり社会だったようだ。

 そんな中右肩下がり時代に、私たちの祖先である縄文人は、どのように生き抜いてきたのだろう。当然ながら、それなりのアイデンティティや哲学がなければ、多分ストレスに耐えきれず生き抜くことはできなかったのだろう。

 最近の様々な研究は強烈で、日本書紀や古事記の神話、縄文土器の図像、遺伝子研究での地域分析などから、当時の思想もかなりわかってきたいるようなのだ。私も時間があれば縄文文化の深層を、これから日本が迎える時代などを考え、温故知新している。

 今は、昔と違いDNAの研究もあり、結構いろいろなことが判ってきている。私の幼いー若いころの縄文のイメージは何か漫画的な原始人といったイメージだったが全然違う。脳科学の成果もあり当時の人間と今の人間の例えば脳の差は殆ど無かったと聴いたこともある。ちょうど、人類が旧石器時代に細石刃(サイセキジン)技法を黒曜石から発明し、大発展したのに似て、新しい局面になっているようだ(たとえが縄文的で申し訳ございません、もう縄文人のマインドになってきているかも)。

 私は7歳の時に両親とアラスカで約1年暮らしたことがあるが、その時に一人でじっくり見た神秘的なトーテムポールの経験が忘れられない。今から考えれば、トリンギット族やハイダ族のトーテムポールは信州の旧石器・縄文の文化をどこか引き継いだ御柱に繋がるようでもある。

 当時の思想は死と再生がテーマだったようだ(蛇とかカエルとか・・・)。しかし、それは、現代でも形は変わるが大切なテーマなのだ。

 私も、2-3年福祉や介護の世界で修業をしたが、死をまじかに控えた人の問いかけに、無神論的なことは言えなかったし、通常そんなことを言う人は皆無に近い。そして、恐らく私個人にとっても死と再生のテーマは最重要問題なのだと思う。

 さて、もう一度「幸福」に戻ろう。右肩さがりは経済だけでもない。自分自身を考えても老化ということがある。身体は有限で、例えば脳は年をとってからも結晶性知能は結構維持されると言われていても限界がある。様々な今までできたことを天にお返しするのが老年期というのは、悲しいが事実なのだろう。そんな中でも、「幸福」はあるのだろうか。

 達成目標をベースにした、理知的な幸福の条件を求めるのはかなり厳しい。達成目標がせいぜい現状維持・・・というなかで幸福の条件ばかりを追っかけるのは息がつまる。

 そんな中、もう15年に近くなったが、臨床心理学をベースにしたU先生の「生き甲斐の心理学」は幸福感という別の価値基準を提示してくれた。一日一日の中で、不思議な自分のうちの理想と現実のバランスの中に、ふと幸福感が訪れる。それを大切にすると考え方だ。

 肌で感じる、涼しい風に秋を感じたり、まれにしか見られない野草に感動したり・・・まあ、サムシング・グレートに感謝する瞬間が心がけ次第で訪れることは確かだ。

幸福曲線を辿る 2/10

人気ブログランキングへ <・・クリック応援いつも感謝しています o(^▽^)o