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縄文小説家・森裕行のブログです。身近な縄文を楽しみ生き甲斐としています。「生き甲斐の心理学」の講師もしています!

縄文遺跡で神のイメージを想う!(幸福曲線を辿る ① 5/10)

2014-08-12 | 第七章「光と復活体」

 昨日は、夕方涼しくなってから、近くの愛宕神社周辺まで登って散策した。東京都の遺跡、No.446遺跡周辺である。縄文時代の早期から中期くらいの住居跡が発掘されたところである。

 愛宕神社の裏の丘の上に立つと、いくら暑くても立秋を過ぎたためか、秋の雰囲気が漂う。そして、完全には観えないまでも富士山や、大栗川流域、東中野の中央大学、500m北東の有名なNo.72遺跡・・・が一望できる。感動である。

 http://youtu.be/1IIgqjcmPXo 

 そして、その場所でしばらく、移りゆく景色の変化を楽しみつつ日没寸前までアース・フィーリングを楽しんだ。

                    

そんな中、ふと縄文時代の人が神のイメージをどのようにもっていたかについて想った。ちょうど、夕日が低く輝き、遠くの多摩ニュータウンの高層ビル群を、赤く照らしたこともあった。土偶等の中には、涙を流している神?の像もある。縄文人の悲しみを一緒に嘆く優しい神もいることを知ったのは大きな感動であった。

ただ、国宝の縄文のビーナスも先日じっくり拝見したが、当時の神のイメージは今の感覚とちょっと違うかなと思った。何か異界のイメージというか、そんなイメージは縄文人だけでなく、私も時に経験したことがある。怖い神、怒る神、そんなネガティブなイメージもあるようだ。

さて、私たちは神仏の物語や神学等を幼いころからいろいろ聞いたり読んだりする。しかし、神仏の感情をともなったイメージについてはどうだろうか、意外に大事なはずなのだが神学関係と比べると少ないかもしれない。だが、とても大事な気がする。幸福を考えたり幸福感を考える上で、神仏のイメージは実に重要だと思う。

昔、「ジャンヌダルク」という映画を観たことがあるが、幼いころのジャンヌダルクと神父さんとの関わりは、ジャンヌダルクが神のイメージをどう考えていたかを投影するようで興味深かったのだ。

自分が、どのような神仏のイメージ(怒ったり、優しかったり、親しみやすかったり、無関心だったり・・・)をもっているか、それを意識してみると、幸福の問題が近づいてくるように思う。

幸福曲線を辿る 5/10

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