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縄文小説家・森裕行のブログです。身近な縄文を楽しみ生き甲斐としています。「生き甲斐の心理学」の講師もしています!

分類することに風穴を!(幸福曲線を辿る ② 6/10)

2014-08-23 | 第七章「光と復活体」

 知人のKさんから昨晩、ちょっとしたプレゼントをいただいた。Kさんは、私が10年くらい前に会社を辞めて、福祉業界で修業をしたとき大変お世話になった恩人であるが、今も元気で大活躍されている。

 身体を病むことのプロが障がい者だと私は思うが、様々な方がいらっしゃるが、Kさんのようにその元気はどこからくるのかと思えるほど、世の為人の為に活躍されている方もいらっしゃる。

 さて、私は幼いころから分類に興味を示し日本の教育を受けつつ、さらに知的な分類のスペシャリストになったところがある。大学の専門でも数理統計学や多変量解析をかなり勉強したし、社会人となっても品質管理やマーケティングでは分類は基本中の基本であり、知的に分類するのは身についた習慣のようになった。

 しかし、「生き甲斐の心理学」で臨床心理学系の学びを13年深めたり、先のKさんをはじめ医療・福祉の世界を知るにあたり、自分の分類に風穴を開けるような事例を運よく経験させていただいた。それゆえ、昔と違い分類はある意味大切にするが、分類とそれにまつわる固定概念を信じなくなった。

 私も、加齢により、勿論まだ元気であるが、最近、身体機能が下降線になっていることを意識することが多い。まあ、年なのであるが、それを認めようとしない自分もいることも確かである。

 Kさんのプレゼントは某雑誌に掲載された、Kさんの記事を送付してくださったのだが、先に私が僭越ながら、身体を病むことのプロが障がい者と言わせていただいたが、そんな分類さえ遥かに超えた魂を感じさせていただいた。

 私の周りには分類が渦を巻いている。それはこんな言葉だ、親・子・男・女・日本人・米国人・外国人・上司・部下・健常者・障がい者・XX病患者・高齢者・・・それは便利で、私たちに大きな恩恵をもたらすことも多いが、個々の生育史や文化から差別や偏見といった真実の眼を曇らせる現象も引き起こす。そして、それにより、どれだけの涙が流されたか。

 真実の眼をもつ神仏から見ると、私のような人間や固定概念はどう観えるのだろうか。それでも愛しんでいただける神に感謝である。

 蛇足ですが、分類も心の仕組み知性化と関係が深い、こころの仕組みから出ているかもしれません。まあ、分類もほどほどにして、自然体で居るのがよいのでしょうか。

幸福曲線を辿って ② 6/10

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