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縄文小説家・森裕行のブログです。身近な縄文を楽しみ生き甲斐としています。「生き甲斐の心理学」の講師もしています!

アンのように想像の翼を広げるオジサン!(幸福曲線を辿る ② 9/10)

2014-08-26 | 第七章「光と復活体」

 還暦を過ぎたオジサンが「赤毛のアン」にうつつを抜かす。そんなことは、昔は想像もしていなかったが・・現実になりつつある。昨日は、ブログのコメントに励まされたこともあり、自分の「積読バスケット(20冊以上の積読書)」を家に置いて本屋さんで「赤毛のアン」を購入し、ついでに「赤毛のアンに学ぶ幸福になる方法」(脳科学者 茂木健一郎著)も購入し、さらに、DVDで231分の「アンの青春」を借りてしまった。

 ついでにKindleで原書も購入。久しぶりの英文で始めの描写を確認したり、村岡花子さんの名翻訳を堪能したりさせていただいた。

 さて、話は少し変わるが、昨日はU先生の「心のともしび」8月19日(心輝かせて)を拝聴させていただいた。心が輝いているときは、意外に窮地にいるときではないか・・・という考えに驚いて、自分でもどうか調べてみた。ところが、予想に反し、実に自分の人生を変えたような心輝く時は、窮地といっても良い状況なのだなと再認識させていただいた。

 自分の忘れずに残っている過去の記憶・・・恐らく心が輝いているときの記憶・・・は窮地という観点から見ると頷けることが多い。

 窮地では、時に命の危機もあれば、大切な人の命の問題もあったりする。自分の成長に大きな影響を与える時もある。一歩先は闇であるが、そんな中で不思議なきらめきみたいなものがあり、自分だけでなく他者にも影響を与える時ともいえる。

 

 赤毛のアンのはじまりは、とても印象的である。アンが孤児院からマッシューとマリネに引き取られるのだが、実は男の子を引き取るつもりだったのだ。つまり、間違っての出会いで、送り返されるかどうかというアンにとって窮地なのだ。その人生の岐路というか危機でのアンの思考・感情・行動が実に心が輝いている時と言ってよいのだろう。

 恥ずかしながら私の7歳の時の窮地を思い出す。英語を全く解せなかった私が、アラスカの小学校(勿論すべて英語)のクラスに入った時だ。その時、私は質問に日本語で答えたが(状況的にあてずっぽうで)、そこから不思議な展開が始まった。生命の輝きの時というか、恩寵の時というか、そういう時は不思議だ。

 輝く時は、想像が不思議に働く。そして、暗い解釈とは縁遠く、明るい解釈が背中を押すところもある。その辺も「生き甲斐の心理学」の幸福曲線を今考えていることもあり、とても面白く感じてしまう。

 今日も、アンのことを題材に想像の翼を広げてみたい・・・オジサンの妄想というのかもしれないが・・・ 

幸福曲線を辿る ② 9/10

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