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縄文小説家・森裕行のブログです。身近な縄文を楽しみ生き甲斐としています。「生き甲斐の心理学」の講師もしています!

大嫌いな人が大好きになる、神秘的な感情の世界!(幸福曲線を辿る ③ 2/10)

2014-08-29 | 第七章「光と復活体」

 「赤毛のアン」に、この幸福曲線を辿るというテーマでブログを書いている時に出会ったのは、とても幸運だった。先日購入した、茂木健一郎氏の「赤毛のアンに学ぶ幸福になる方法」も読了したが、U先生の「生き甲斐の心理学」の明るい感情、幸福曲線の理論にもとても似ているところがあり驚いた。

 そして、茂木氏が日本人の「もののあはれ」についてもかなり突っ込んで言及しているのも驚きだった。モンゴメリーはスコットランドからの移民だそうで、ケルト的なセンスがあることも、日本人の太古からの感性が似ているのかもしれないと妄想してしまう。

 さて、幸福を追求する中で、感情的に嫌いな人に、どう接し、どう対応すると光が見えてくるかという大問題がある。普通、嫌いな人に出会えば、避けることで何とかなることも多いが、それが仕事上避けて通れない人であるとか、家庭やコミュニティの中で避けられないということも多々ある。この場合、どうするか、私も含め大いに悩む問題である。

 嫌いという感情を押しつぶして、「私は実は好きなのよ・・・」などと感情を抑圧するのは心の健康上あまり良くない。理性で対処してもぎこちなく辛い。こんな時は、諦めるしかなく希望はないのだろうか?

 赤毛のアンでは、もっとも気にしている避けられないアンの問題。赤毛であることに対し、将来の結婚相手になるギルバートは、初対面で「ニンジン」と言ってしまった。悪意があったか否かは判らないが、そのためアンは憎しみを覚え石版でギルバートを叩いてしまう。そのため、それから少なくとも5年くらいは口も訊かないようになってしまう。

 憎しみという感情の中で、アンは不思議な将来を見通す力があるのか、嫌ってはいるが何かひたむきに誠実?にギルバートと向き合っていく。ギルバートも理想的な男性のようで誠実に対応していく。フロイトの14の防衛機制から考えると、二人三脚でギルバードの組とアンは競って勝ったり、勉強でギルバートに負けまいと頑張ったりする。それは、怒りをうまく昇華するという防衛機制をうまく使っているようにも思うが。

 背景には、マリラやマシュウの無償の愛があったのは幸いだった。ギルバートも同じような背後の環境があったのだろう。ひたむきに誠実に接していく。そして、ニンジン事件の二年後には、たまたま池に落ちたアンをギルバードが偶然に助けることがあり、その中でギルバートとの不思議な瞬間を経験する。アンは不思議にもギルバートの褐色の眼に素敵な感情を抱くのである。しかし、以前の出来事を思い出し、怒りが復活して決裂してしまう。

 その後3年くらい経過し、ギルバートが教師の仕事の口をアンに譲り、アンが感謝の中でギルバートは和解するが、その時の会話は実にこの問題の本質を表現していて素敵だ。

 「あたし、あの日、池のところで許したんだけど、自分でも知らなかったのよ。なんてがんこなおばかさんだったでしょう。思いきってなにもかも言ってしまえばーあのときからずっとあたし、後悔していたのよ。」(赤毛のアン 村岡花子訳 新潮文庫523ページ)

 「生き甲斐の心理学」では、憎しみ、怒りは典型的なストレス曲線であるが、実は友好的感情(幸福曲線)に変化する感情としている。しかし、根深い怒りの感情は、時には生涯にわたり友好的感情に変わることもないことも事実だろう。しかし、アンの例ではないが、①五感・体感が関係し、②偶然というか何かの出来事に伴い、③無意識にも和解を願う気持ちー祈り?があるとき、実に恩寵のように、嫌いが好きに、憎しみが友好的感情に変わることがあるのだと思う。この瞬間を経験するとアンの物語の素晴らしさが増すようだ。

幸福曲線を辿る ① 2/10

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