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縄文小説家・森裕行のブログです。身近な縄文を楽しみ生き甲斐としています。「生き甲斐の心理学」の講師もしています!

風天(フーテン)で個性を活かす!(異文化と愛 ③ 4/10)

2014-11-01 | 第九章「愛」

 マッサンも自己実現のために辛い中退職した。夢という言葉がドラマではよくつかわれたが、個人的にはもっと重い何かではないかと思う。それには、アイデンティティとか思想とか、そういう領域の問題が含まれるのだと思う。

 さて、今秋は自分のアイデンティティとか思想、宗教を深めるための良い本に出会った。一つは「ふしぎなキリスト教と対話する」(来住英俊著 春秋社)、もう一つは「寅さんとイエス」(米田彰男著 筑摩書房)どちらもキリスト教、カトリックの神父さんの著作だ。キリスト教に興味のある方は是非読まれたらと思う。

 今、私は「寅さんとイエス」にでてくるフーテン性について、楽しく考えている。米田神父さんによれば、フーテン性のふたつのポイントは・・・Ⅰ:常識をはみ出した者 Ⅱ:故郷を捨てた者 だそうだ。そして、このふたつについていろいろ妄想している。

 常識をはみ出した者。そういわれれば、私も10年前に会社を辞めたときは、その範疇に入っていたかもしれない。せっかくの定職を捨てて全く別の世界に入った。勿論、いろいろ打算をはたらかしたこともあるので純粋ではないかもしれないが、おそらく一般の常識とは離れていたかもしれない。五十歳台前半でコンピュータ業界から福祉とか社会教育の世界への転換は一般には少ない。

 Ⅱの故郷を捨てたもの。これは難しい定義であるが、自分の中では当てはまるように思う。とはいえ、故郷にもふらりと帰ることもあるが。

 ところで、このⅠ、Ⅱの条件を考えて行くと、これは自分の個性と関係が深いと思えてならない。今日のマッサンでも優子さんの言葉が印象的だった。「私も、ときどき蓋を外してみたい。」自分の心に蓋をすることは社会的生活をする上で大切だが、その蓋の中には何か自分の大切な個性も隠れているように思うのだ。そして、深層心理学の世界では、他人は驚きの対象ともいわれ、それぞれの個性は本質的に驚きなのだ。

 風天(フーテン)性を持っていると思われ人は、寅さんやイエス、マッサンやエリーさん、だけではなく、芭蕉、良寛、西行、義経・・・日本では沢山いるようにも思う。そして、旅も沢山する。きっと縄文時代までさかのぼる文化性があるのではないだろうか?(笑)私も、どこかその血が流れているので、時々蓋をとりつつフーテン性を発揮したり、旅をしたりしている。

 写真のススキは、愛宕神社周辺で富士山の写真を撮ったときに背後にあったススキである。蕪村の歌に似合っている。

 山は暮れて野は黄昏の芒かな

異文化と愛 ③ 4/10

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