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縄文小説家・森裕行のブログです。身近な縄文を楽しみ生き甲斐としています。「生き甲斐の心理学」の講師もしています!

大変な時に救われる神仏のイメージは?(異文化と愛 ③ 6/10)

2014-11-03 | 第九章「愛」

 寅さんの愛の原形は何だったか?親子喧嘩をして家を飛び出すときに、妹のさくらが駅まで送ってくれた場面が、それだったのだろうか?いろいろ、想像しても本人でないのでよく判らない。しかし、さくらさんに関係する愛の原形は、きっと寅さんの人生に大きな影響を与えていると思う。

 U先生の「生き甲斐の心理学」では、愛の原形は実に大事にされる。それは、「<愛の原型>が満たされれば心因的病理にはなりません」(テキスト25P)にあるように、心の健康のポイントでもあり、時にはストレスを跳ね返し幸福感に変換する必要条件に関わったりする。そして、逆にそれが、あるときは社会的には負の面を持つこともあるように思う。

 世の中とかく盤石な常識的な生き方があるように観えるが、意外に、山あり谷ありが真実のようだ。マッサンも就活で大変だが、例えば、現在大学を卒業してもなかなか希望する給与や待遇に見合うところに就職できなかったりする。これは、恐らく大学が国際競争力を失うだけでなく、激しく変わる社会のニーズにこたえることが出来なくなっている構造的な問題かなと思ってしまう。異常な就活は社会の大きな損失だとおもうが。

 そしてある場合は本人が望まなくても、常識的な生き方ができなくなっていく。そして結果としてフーテン性を獲得したりして。そして、その時に元気に生きるポイントも<愛の原形>が関係しているように見える。

 さて、愛の原形も大切であるが、もう一つ大切な神仏のイメージについて今日は考えている。というのは、「寅さんとイエス」の中で、イエスが父なる神をどう呼んでいたかについて米田彰男さんの楽しい解釈を読んだからである。イエスはアラム言葉を話していたが、父なる神を呼ぶときにアッパという言葉を使っていたようだ、そのニュアンスは「お父ちゃん」という感じらしい。

 この話は、遠藤周作の友人で最近なくなった井上洋治神父さんの著作にも良く出ていた。

 神のイメージは、心の健康など心理学的な面も持つ。自分の生育史を振り返り、自分の神のイメージをあれやこれやと思い出し意識すると、いろいろ発見がある。3歳のころ。7歳のころ。10歳のころ。17のころ。20歳のころ。25歳のころ。30歳のころ。50歳のころ。それこそ一つの時期で論文が書けてしまいそうだ。恐ろしい神であったり、親しみやすい神であったり、優しかったたり。本当に多様であった。何故そうだったかを考えるだけでも実に深いものがある。実に不思議な想いだ。

  

異文化と愛 ③ 6/10

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