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縄文小説家・森裕行のブログです。身近な縄文を楽しみ生き甲斐としています。「生き甲斐の心理学」の講師もしています!

暗い感情を光に変える日本の詩歌!(異文化と愛 ③ 7/10)

2014-11-04 | 第九章「愛」

 昨日は府中で勉強会をした。楽しい縄文の話題も沢山でたが、実践的なフォーカシングについても学びを深めた。

 フォーカシングは、自分の問題を整理し、その中で暗い感情を抽出し理想と現実のギャップを縮めていくカウンセリング等での手法だが、自分の問題を知的に理解するだけでなく、感情を実感していく手法ともいえる。

 マッサンも就活しているが、さまざまな防衛機制を働かせ暗い感情に向き合えないのが問題のようだが、実際窮地にたつと、自分の例を考えても意外にこうしたパターンは多いようだ。真の問題を回避しているので、なにかぐるぐる回り進展がみられない・・・それに対して、暗い感情をきちっと見出し、腑に落ちる方向を見出すにはフォーカシングはなかなかだ。

 しかし、戦後欧米で研究されてきたフォーカシングだけでなく、縄文の伝統をうけた身近な歌や俳句が、それに似た機能を持っている。非常にコンパクトな表現の中に、実に見事に暗い感情を表現し、その深みから新しい解決への糸口を見つけていくのだ。

 さて、昨日の勉強会では、自分の感情を表現するときに、オノマトベ(擬音語、擬態語)を使う積極的な意味に気が付いた。最近、言葉と五感の関係を意識して考えることが多いが、オノマトベはその決定打のような感じがしたのだ。ヒューヒューと隙間風が吹き抜けるような不安感・・・など、ヒューヒューがとてもリアルで共感をさそう。こうした言葉の中には、縄文以前の起源をもつものも少なくないだろう。そして、実に表現がピタッとくる。

 オノマトペを使った沢山の日本の詩歌があるが、今朝、柿本人麻呂の百人一首の歌をふと思いだした。そして、いろいろ思索してみたが実に良くできている。

 足日木乃 山鳥之尾乃 四垂尾之 長永夜乎 一鴨將宿 (あしびきの 山鳥の尾の しだり尾の ながながし夜を ひとりかも寝む)

 訳:夜になると谷を隔てて独り寂しく寝るという山鳥の長く垂れた尾のように、長い長いこの夜を、私は独り寂しく寝るのだろう。

 以上、Wikipediaより

 表面的なオノマトペとしては、「ながなが」くらいかなと思うが、この歌の基調となる「・・のー、・・のー」はアイヌ語のoh-or(時間的に長い)という言葉に繋がるようでもある。国語の授業でならう、枕詞や序詞も有名だが、隠れた「の」も何かオノマトペ的であり、何重にも長いが表現されているようだ。そして訳では助詞等に軽く扱われ無視されているが、万葉仮名では「かも」は鴨と漢字表記されていて、鴨が頭を羽に埋めて水上で静かに寂しく寝ている姿が目に浮かぶようである。それが、何か苦悩の中で観える朝の光のようで、実に美しく感じてしまう。

 歌が、五感を揺り起こし、魂まで響き渡るような名歌だなと、つくづく感じ入った。

異文化と愛 ③ 7/10

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