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縄文小説家・森裕行のブログです。身近な縄文を楽しみ生き甲斐としています。「生き甲斐の心理学」の講師もしています!

見えないものを観るようにする!(異文化と愛 ③ 9/10)

2014-11-06 | 第九章「愛」

 4日は鎌倉の由比ヶ浜で綺麗な月を観たので、5日の後の十三夜の月が楽しみであった。そして、夜になり時々空を見上げたが、時々雲間から月が微かに観える程度、ちょっと残念ではあったが、見えにくい月に対する想いは高まり、微かに観えた時は嬉しかった。

 鎌倉で観た夕暮れ時の月(4日)。

  十三夜は残念ながら雲間にちょっと顔を出すくらい。

 さて、この「見えないものを観るようにすること」。これは、とても大切なことだと思う。特に、何かを信じると、人は観えるものが出来てくる反面見えにくくなることもでてくる。とても不思議な心の特性なのだ。少数意見を大事にする民主主義を私は愛するが、それは、こうした人の心の特徴から考えて合理的だと考えるのだ。頭がいいとか、そんな話ではなく観えたり観えなかったりする問題だからだ。

 自分のことを少し語ってみよう。10歳の時に海水浴で溺れたところを父に助けてもらったことがあった。そして、父が危険を顧みず救出したのだが、その時の父の愛は変な話だが、しばらく観えなかった。他人にははっきり観えていて、実の当事者が感じないということがあるのだ。もちろん、一時的な防衛機制とかも問題になると思うが、アイデンティティに関わる問題だと、ひょっとすると死ぬまで気が付かないこともあるかもしれない。

 職業を持つようになり、特定の組織に属したりし長年働いたりすると、やはり組織の文化(何かを信じるのだろう)の中で、何かが観え何かが観えなくなるものだ。これは、会社を辞めて初めて気づくことである(私の場合は2-3年はかかった)。もっと大きなこともある。宗教を信じて観えるもの観えなくなるもの。宗教というと怖がったり馬鹿にする人もいるが、そういう人も何かを信じていると思う。科学教とか・・・人間は何かを信じないと楽に生きていけないからだ。宗教や思想というと、その言説に眼を奪われがちだが、心理学的に観えてくるもの観えなくなるものといった具合に捉えて実態を思索すると、初めて判ることもある。

U先生の生き甲斐の心理学を学んでくると、そういう現象たくさん知るようになり楽しくなる。そして、ヘンな心の視野狭窄にならないためにも「生き甲斐の心理学」はとても大切だと思う。

 この月も、月を愛でる習慣は日本では一般に平安時代からだというようなことが言われているが、実際は縄文土器の研究や神話などから類推して、恐らく日本では一万年以上の歴史があるように思えてならない。死と再生を絵に描いたように繰り返す月は、生命を考える上でも貴重であり、当然ながら人類の歴史では大切にされたと思うし、日本人が食生活の関係で定住するようになる縄文時代に暦としても大切な働きをしたに違いない。

 月の文化は日本人の心の奥に深く浸みこんでいるのだと思う。

異文化と愛 ③ 9/10

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