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縄文小説家・森裕行のブログです。身近な縄文を楽しみ生き甲斐としています。「生き甲斐の心理学」の講師もしています!

カワセミをどう観るか!観点の大切さ・・・(魂で感じる ① 7/10)

2014-11-16 | 第十章「今ここでの恩寵」

 このところ、何かカワセミに不思議な縁があるようだ。10月に薬師池公園でカメラを持って歩いていたら見知らぬ女性から声をかけられて、カワセミの居場所を教えていただき、カワセミが池の獲物の小魚を食べる様子をじっくり観察できた。素晴らしい捕獲能力で確実に餌をとってしまう。

    小魚を捕った前後(捕っているときは残念ながら撮れず・・・)

 次には、先日の縄文の旅で、釈迦堂遺跡博物館でカワセミの土偶や土器を発見したことがある。月の隠喩でもあるカエルは、良く知っていたがカワセミが土偶や土器にデザインされているのに驚いた。これは、縄文人が特別な存在(霊的な存在として)としてカワセミを観ていることを表す。生活の中で身近(見たり、場合によると食したり?)だったのだろう。カワセミの羽の色は翡翠で、縄文では糸魚川のヒスイを貴重品として各地で大切にされている。縄文の天使のようなイメージだったのだろうか?

 

 そして、昨日は今日の読書会の準備で、宮沢賢治の「やまなし」を読んでいた。そしたら、蟹の兄弟等が水中で魚が天井からカワセミが矢のようにやってきて連れ去られる場面が描かれていた。この後の蟹のお父さんとの会話はなにか涙がでるほどすばらしい。

『お父さん、お魚はどこへ行ったの。』

『魚かい。魚はこわい所へ行った。』

『こわいよ、お父さん。』

『いいいい、大丈夫だ。心配するな。そら、樺の花が流れて来た。ごらん、きれいだろう。』

泡と一緒に、白い樺の花びらが天井をたくさんすべって来ました。

『こわいよ、お父さん。』弟の蟹も云いました。

光の網はゆらゆら、のびたりちぢんだり、花びらの影はしずかに砂をすべりました。

 

カワセミは、東京でも良く見る鳥である。そして、不思議に何か心をとらえるようだ。そのブルーは翡翠で多分一万年以上愛されたのだろう。そして、その捕獲能力は、残酷さを通り越して何か高貴ですらある。

一ヶ月の間に、カワセミを観る3つの観点をいただいたが、何か不思議だ。

観点により、あらたな発明や創造につながる。時には苦悩や悩みからの脱失にも繋がる。カワセミを素人カメラマンとして観るか、水中の蟹の眼から観るか、5000年前の縄文の祖先の眼から観るか・・・

魂で感じる ③ 7/10

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