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縄文小説家・森裕行のブログです。身近な縄文を楽しみ生き甲斐としています。「生き甲斐の心理学」の講師もしています!

自分の感情を思索すると、突然開ける世界が!(魂で感じる ③ 9/10)

2014-12-08 | 第十章「今ここでの恩寵」

 マッサンを観ていたら鴨居社長の息子さんが登場した。学生さんで何を考えているのか感じているのかよく判らない青年のようだ。

 マッサンも自分の若いころのことを述懐していたが、青春時代は傍目でみるほど本人にとっては決して気持ちの良いものでなく、鴨居青年のように、煮え切らないネガティブな感情がなんとなく支配しやすいようなのだ。

 そして、普通の人は(昔の私も含めて)、その謎の感情を思索するのではなく、感情に支配されるままに考えたり、行動をしたりする傾向が強い。ところが、私の学んできた臨床心理学をベースにした生き甲斐の心理学は「感情の意味を考えろ!」という謎の問いかけをして、感情という得体のしれないものに焦点付をするのだ。

 そして、例えば自分をなんとなく支配している感情が、不信感か、疑惑感・恥辱か、罪悪感か、劣等感か、自己混乱化、孤独感か、倦怠感か、絶望感か・・・もし、その分類ができたら、エリクソンの人格形成論で一般的な対処法を与えたりする。

 劣等感ならば、技能の習熟とか、勤勉性がキーワードになる。さらに、その暗い感情が自分の中にある理想と現実のギャップという簡単な理論で思索していくと、自分の中に、気が付かないうちにもっていた理想(生育史の中で獲得した)を炙り出したりできる。

 劣等感であれば、例えば『私は背が低い』とかである。それは、世の常識とか価値観などとリンクをしていて、一見もっともなのだが、そこで自分の頭で思索するのだ。自分のアイデンティティ(何のためにいきているのか、生き甲斐は何か、自分を大事にする意味)が定まっていると、その理想が意識されるだけで、とたんに暗い感情が消えたりもする。あるいは、理想と同様に現実の理解を深めることで暗い感情が吹っ飛ぶことも。

 たとえば、私の生育史の中で大きなものとして、幼児洗礼を受けて日本では珍しい(人口の1%に満たない)キリスト教徒として育ったことがある。それが、どこか負い目になっているところがあった。「私は、現代日本人なのにキリスト教を信じている。ヘンではないか」という自問自答が無意識にも繰り返されてきたかもしれない。

 しかし、この理想というか現実を見方を変えてみると、「日本人には珍しいキリスト教を信じてしまったが、これは日本文化にキリスト教を受容する土台があったからではないか?」と言う風に思索することもでき、全く違う積極的な地平線が観えてきたりする。私が縄文や世界の新石器時代の文化に興味を持ってしまったのも、そんなところからきているようだ。

 暗い感情、ストレス曲線は自分だけの世界を切り開く鍵であり、人生を楽しむ鍵でもありそうだ。

魂で感じる ③ 9/10

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