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縄文小説家・森裕行のブログです。身近な縄文を楽しみ生き甲斐としています。「生き甲斐の心理学」の講師もしています!

こころの繋がりを考える!(縄文スイッチ ① 4/10)

2014-12-13 | 第一章「意識と知覚」

 日々の暮らしの中で、ふといろいろな人との出会いや別れを考える時がある。昔はそんな時、ちょっと感動したり、感傷的になったりしただけだったが、最近は「生き甲斐の心理学」を通じて臨床心理学の基本を学んだこともあり、他者とのこころの繋がりを考えてしまいがちだ。

 心の繋がりは、自分自身との心の繋がりもあり、それもなかなか難しい問題だが、他者とのつながりは輪をかけて難しい。深層心理学的には他者は驚きの対象とも言われ、まるで未知の世界に踏み入れたときの不安でくらっとすることも。それを乗り越えなければなかなか心は繋がっていかないのだが。

 さて、縄文土器や西欧の新石器の図像を最近眼にすることが多いが、これまた同じようにくらっと不安を感じるときがある。縄文スイッチオンかな笑)。

 脳の進化程度は現生人類が20万年前にアフリカで誕生してから殆ど変らないということでもあり、私たちの様々な精神活動の根が縄文・新石器文化、さらに旧石器文化と果てしなくのびていることは間違いない。蛇や卵、カエル、女性といった図像の背後にも、恐らく私たちと同じような感情の世界があり、精神文化があったのだと思う。しかし、今の倫理道徳や社会観念と数千年の時を越えると違うところもあるのだろう(どちらが良いかは相対的なのだろうが)。

 図像だけだと、とりとめのないものになりがちだが、例えば日本神話とギリシャ神話のある部分が極めて酷似しているということがよく言われる。イザナギの冥界行きでイザナミが黄泉の国の食べ物を食べてしまったというくだりがある。ギリシャ神話ではペルセポネが冥界の柘榴を食べた話と酷似している。他にも、アマテラスの岩戸の話でアメノウズメが滑稽なしぐさで踊るが、ギリシャ神話ではバウボがデメーテル(女神)を和ますためにやはり同じように踊る。

 そんなことで、縄文土器の図像解釈は、世界中の土器等の図像や神話等を手掛かりとすると観えてくるものなのだろう。さらに、今では失われている神話が室町時代の文献に現れているということもあるようで、もう縄文スイッチはいたるところに!

 収拾がつかなくなりそうなので縄文スイッチをいったんオフにするが、先の他者と心の繋がりをつけようとするときに湧き起こる不安。こんな時は、やはり信仰の力が一番なように思う。正中線を正すというか・・・。

 そんなことを考えていたら、今日はU先生のブログに謝祷の話があった。とても良い話で全く同感してしまう。よろしければ、是非ご覧ください。U先生、ありがとうございます!

縄文スイッチ 4/10

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