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縄文小説家・森裕行のブログです。身近な縄文を楽しみ生き甲斐としています。「生き甲斐の心理学」の講師もしています!

ジレンマをどう潜り抜けるか?(縄文からの風 ① 5/10)

2015-01-15 | 第二章「五感と体感」

 あちらが立てば、こちらが立たず。こんなジレンマは世の常といってもよいかもしれない。

 5200年前に遭難したアイスマンの所持品の中につくりかけの弓があった。始めは槍ではないかと議論を読んだらしいが、なんと未完成の弓を所持していた。寒冷のアルプスにやってきたのは、それなりの理由があったと思うが、作りかけの弓を所持してきたのは何とも不思議だ。実際にアイスマンは背後から何者かに矢を射かけられて絶命している。もし、作りかけの弓ではなく本物の弓を持っていたら彼の歴史は変わっていたかもしれない。

 朝ドラのマッサンも同じである。鴨居社長との駆け引きは、自分のホンネと会社や家族などのしがらみとの戦いである。こうしたジレンマは世の常。AをやりたくてもBしかできない。そんな中でBをやっているとBではなくCのように感じてくる。マッサンは渦中にあるので自覚しにくいが隣りのエリーさんには見えたりする。

 こうしたことは、まったく他人事ではなく、今の自分の問題でもある。こころの防衛機制を考えると、合理化とか感情転移とか様々な機制の中で、心は安定しているけど、もっとも大事な正中線を外し始めるという事態だ。そんな中、五感・体感を大切にしつつ、原点に戻ることは大事だ。「私は何のために生きているのか?」、メメントモリ・・・そんな問いかけこそ最大の処方箋だと思う。

 さて、五感・体感は不思議な世界と繋がっているようにも思う。以前、6-7歳のころのことを、エリクソンの人格形成論を勉強している時にAさんと話したことがある。6-7歳のころ。それは何か魂が開眼したような地平が見え始める時ではないか。そんな感想を述べ合った。単純に視覚・聴覚・・・そういったセンサー的なもの・・・それ以上の何かを感じるのだ。

 五感体感で感じる何か。その中で、AかBかではなく、さらに深い次元で何かが立ち上がる。そして、AでもBでもCでもない選択が開始されるようなのだ。

 とはいえ、ひょっとしたら、5000年後に未来の考古学者が私を発見し、この人はこんなところで何を考えていたのだろうか?と不思議がるようなことは毎日やっているので、簡単には行かないことは確かである。

縄文からの風① 5/10

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