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縄文小説家・森裕行のブログです。身近な縄文を楽しみ生き甲斐としています。「生き甲斐の心理学」の講師もしています!

縄文時代の宗教はどうだったのだろうか?(縄文からの風 ① 9/10)

2015-01-19 | 第二章「五感と体感」

 「生き甲斐の心理学」を学んで15年になるが、まさか縄文の宗教やそれ以前の宗教について思索することになるとは考えもしなかった。しかし、日本人の心の仕組みや生き甲斐を考えたりするなかで、必然的にこんな風になってきたのだ。

 縄文時代の宗教について真面目に勉強するには、世界の民俗学や宗教学の知識が必要であるし、当然ながら日本の考古学や歴史、先輩の研究も必要になってくる。最近では遺伝子人類学などの科学の分野もとても重要だ。もう私のように還暦を過ぎた人間にとっては、まじめに研究するにはちょっと時間が足りない。

 しかし、日本人の宗教(自分もその一人)や宗教的情感を思索する上でもたぶん避けて通れない課題なので、風車に向かうドンキホーテのように関係書籍を読み、必要な活動(等身大の活動)ができればと思っている。だが、こうした研究を力ある人が真面目にやれば、今の宗教問題などへ随分貢献するのではと思うのだが・・・これは単なる私の妄想なのだろうか?

 今、相反するような極端な二つの文化の宗教について本を読んでいたのだが、西アジアで都市国家を形成する文化では神様が新旧合わせて2000とか3000リストアップされるらしい(主要な神様は6人とか10人とかと少ないが)。民族の統合や、複雑な人間社会(ヒエラルキーが厳しい)を投射しているようである。一方、狩猟採集型に近いと思われるある北米の部族の宗教は、神様が3人とか少なく、何か三位一体のような神様どうしの連関もあるようだ。

 縄文の神様も、様々な要素があるのだろうが、日本の研究者は比較的単純(北米の部族のような)に考えていらっしゃるようだ。他の部族を略奪したり戦争する文化は、当然ながら文字を持ち、複雑な統治システムを持つので遺跡などは豊富なようだ。一方平和でエコロジカルな部族は、その必要がないので複雑な統治システムや文字もなく宗教の内容を残す(口述伝承はあるが)ことも少ないようだ。ただ、どちらが良いのかと言われれば、どちらが幸せに暮らせるかと考えれば、何ともいえない。また、理論や体系を別にして宗教的感情という観点から考えると、とても似ているかもしれない。

縄文からの風① 9/10

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