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縄文小説家・森裕行のブログです。身近な縄文を楽しみ生き甲斐としています。「生き甲斐の心理学」の講師もしています!

遠い祖先はどんな宗教を信じていたのだろう?(縄文からの風 9/10)

2015-03-05 | 第九章「愛」

 縄文時代の土偶はだいたい女神のようだ。新石器時代は日本だけでなく、世界的にも古いほど女神の傾向が強くなる。私は男性なのでちょっと寂しい気がするが、吉田敦彦さんによると「大地母神信仰が人間の宗教の一番古い形」*1だそうだ。昨年から縄文の勉強をしているが、中国やシリア、あるいはヨーロッパの新石器時代の資料等を見ても、やはり女神だ。

 人間はやはり食べるものが基本。狩猟する獲物、栽培する穀物等、漁労・・・その糧は、大地に根づいている。母なる大地から全ては生まれる。有名なヨーロッパの洞窟の壁画も、大地深く、女性の産道のような洞窟深く、獲物がこの世に湧いてくれるように?綺麗に描かれる。日本神話のオオゲツヒメやウケモチノカミも、穀物の豊穣祈願と結びつく。土偶が割られて見つかるというのも、そんな背景を感じさせる。中央高速の釈迦堂インターの博物館(パーキングエリアから入れる)に行けば、縄文時代の迫力ある地母神信仰を味わうことができる。

 怒られてしまうかもしれないが、観音信仰やマリア信仰も、地母神信仰の根と関わりがあると言えるのではないだろうか。記紀のアマテラスが女神であるというのも、縄文からの伝統を考えると何か頷けるものがある。

 さて、自分の中の愛のイメージを考えると、やはり大地母神ではないが、女性的な慈しみとか癒しとか、そういう情緒的なイメージが大きく深いことは確かだ。しかし、最近は愛を真善美からいろいろ考えている。善悪とか真理とか・・・そういう要素のある愛というのも当然ながら考えられるわけである(恐らく、人類は愛の真善美についていろいろ思索をしただろう)。そして、自分の道は真善美のどれなのかとか、他人はどうなのだろうかとか、いろいろ妄想してしまう。

*1 「縄文謎の扉を開く」(縄文文化輝く会 松久保秀胤監修 冨山房インターナショナル)36P 土偶に見る縄文人の女神信仰 吉田敦彦著を参考にしました、ありがとうございました。

*写真は、天の香具山の山頂からの夕日。一昨年今頃の季節にとった写真です。

縄文からの風⑤ 9/10

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