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縄文小説家・森裕行のブログです。身近な縄文を楽しみ生き甲斐としています。「生き甲斐の心理学」の講師もしています!

父の不在は良いことなのだろうか? (縄文からの風 ⑥ 2/10)

2015-03-08 | 第八章「魂と聖霊」

 今朝の日曜美術館のイコン作家「山下りん」さんの御話しは感動した。あの東北でロシア正教が受け入れられていくお話。山下さんのイコンの美しさには深く感動するものがあった。

 この放映のなかに、ニコライさんが東北の窮状(飢饉や間引き)を嘆き、それが文書で残されていたが、当時の厳しい東北を思った。そして、生活の厳しさは縄文でも似ていたかもしれない・・・そんな風に感じたのだった。特に、縄文中期から晩期にかけては寒冷化で東日本は右肩下がりの時代だったのだ。テレビのお話では山下りんさんのイコンを拝見することで癒されるのだが、縄文の人たちも当時の信仰を通してきっと癒されたのだろう。

 さて、今日は昨日の延長で、家族と個性を考えている。今朝は特に父親のことを考えている。父親と子の関係だ。私の父は24年前に亡くなったが、幼いころの記憶は、だいたい不在の父であった。仕事中心で、朝早くから夜遅くまで。休日はゴルフ。一昔前はそういう企業戦士も多かったのだろう。

 しかし、こうした父の不在は縄文時代から続いていたのでは?、縄文時代は母系社会だったという説も根強いようだ。そして、今でも奥さんから小遣いをもらう男性も多いようだが、これは縄文からの美風ではないかと私は思っている(笑)。縄文時代は生活の中心は女性で資産(食べ物、住居、衣服)の多くは女性が所持していたのかもしれない。そんな中、男性の役割は何だったのか?最近、縄文時代の交易が凄かったことが判ってきた。また、狩猟や漁労は男性中心ということも推定される。そんなことから、縄文時代も父親の外出、そして不在が一般的だったのではと妄想している。

 ところで、父親の不在は子供にとって問題なのだろうか。私の父が夕方になると家に帰ってきて、一緒に食事をとり、テレビを観たり、ゲームをしたり・・・それも毎日。そのうち、何となく子供に自分の夢を託してきたりする・・・ひょっとしたら煩わしくなってくるかもしれない。孤独もつらいが過剰な関係もつらいと思う。特に、父親が自分の道を歩むでもなく、子供に過度に摂取するとか感情転移するとか・・・これは父親にとっても子供にとっても悲劇になる可能性があるだろう。

 父は24年前に亡くなったが、父の写真が家のなかで額に入って飾られているので、ときどき見る。山下りんさんのイコンとは違うが、何かを語っているように思うことがある。自分と父は違うが、といって全くの他人でもない。不思議な関係なのかもしれない。

縄文からの風⑥ 2/10

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