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仕事のなかでの罪悪感から…アインシュタインを考える!(仕事とか家庭とか 10/10)

2015-05-12 | 第四章「愛とゆるし」

 昨晩はアインシュタインについて一晩考えていた。ニュートン以来の物理学の統合、一般相対性理論を編み出したアインシュタインの人生は、私が知る限りアイデンティティの統合という意味でも、自己実現という意味でも優れた方だったと思う。

 そのアインシュタインが、ある日、インタビューで死んで生まれ変わるとしたら、どんな職業に就きたいか?と訊かれたのに対し、なんと、「科学者などにならずに、行商人かあるいは鉛管工か、そういうものになりたい」と言ったそうだ。

 ご存じのとおり、アインシュタインはユダヤ人であり、祖国を後にアメリカに移住する。そしてナチスが原子爆弾を研究していることを知り、アメリカのルーズベルト大統領に原爆製造を提言したそうだ。そして、その原爆がなんと同じ東洋人としてアインシュタインが考えていた日本に落とされる。そんな、こともこの発言に関係したのではないかと思う。

 そんなこともあり、アインシュタインの平和運動は罪悪感に対する目的志向性という観点(エリクソンの理論)からみても、実に筋金入りだと思う。そして、核の廃絶に関しては次のような一般相対性原理のように美しい言葉を残している。

 「全滅を回避しようとする目的は、他のいかなる目的にも優先しなければなりません。」

 私の関与するNPOも東日本大震災での支援活動をしているが、あの福島第一原発事故の後の原子炉問題も今でも囁かれているが、アインシュタインの名言は実にリアルに私に迫ってくる。

 さて、アインシュタインの話の後でおこがましいが、自分のことを考えてみよう。仕事や家庭といった日々の生活に直結する場で、罪悪感の問題がでてくることがある。だいたい、組織の目的とかに挟まれて、いろいろなジレンマ、トリレンマの形をとる。罪悪感は基本的に他者の権利を阻害する形から起こる。そして、心理的な問題ももちろんあるが、魂の領域の問題であること、つまり宗教の領域の問題であることが多い。

 マグマのような、自己を破壊しつくすような罪悪感に遭遇したとき、14の防衛機制をつかってとりあえず回避することは決して悪いことではないが、時間の流れの中で、自分の罪悪感を思索し、マグマに対して目的志向性がはっきりした行動をとることが大事なようだ。そして、罪悪感を意識することは時には私が十字架の贖罪のカトリックの教えに触れて、解放されたように、違った世界を垣間見させてくれることもある。

 アインシュタインの先の「全滅を回避しようとする目的は、他のいかなる目的にも優先しなければなりません。」という言葉は、苦悩の中から到達した、素晴らしい言葉だと思う。

*アインシュタインについては、続天才の世界 小学館創造選書 湯川秀樹著を参考にしました。ありがとうございました。

仕事とか家庭とか 10/10

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